ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビーとは? わかりやすく解説

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ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 09:59 UTC 版)

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ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー
Rajendra Rajya Lakshmi Devi
ネパール王妃

出生 不詳
パルパ
死去 1785年7月13日
カトマンズハヌマン・ドーカ宮殿
配偶者 プラタープ・シンハ・シャハ
子女 ナゲンドラ・シャハ
ラナ・バハドゥル・シャハ
宗教 ヒンドゥー教
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ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー(Rajendra Rajya Lakshmi Devi, 生年不詳 - 1785年7月13日)は、ネパール王国の君主プラタープ・シンハ・シャハの王妃。

生涯

時期は不明ながら、ネパール王プラタープ・シンハ・シャハと結婚した。王との間には、 1775年ラナ・バハドゥル・シャハをもうけた[1]。それ以前にナゲンドラをもうけているが夭折している[2]

1777年11月、プラタープ・シンハが死亡し、幼い息子のラナ・バハドゥルが王位を継承すると、その摂政となった。だが、ベティヤーにいた王の叔父バハドゥル・シャハが帰国し、王母代わって摂政になった[3]

その後、重臣らの支持を受けた王母はバハドゥルを投獄したが、王師ガジ・ラージ・ミシュラの助言もあって数日のうちに釈放した[3]。それでも2人の対立は深まり、今度はバハドゥルが王母を投獄したが、重臣らの反発を受けたため、王母を釈放してベティヤーに戻った[3]。これらの争いは、1781年二四諸国の攻撃に繋がった[3]

1785年7月13日、ラジェンドラは死去した[3][4]。その死後、バハドゥルは帰国し、再び摂政となった[3]

脚注

  1. ^ Nepal 6
  2. ^ Nepal 6
  3. ^ a b c d e f 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.503
  4. ^ Nepal 6

参考文献

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年。 

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