ラウル・ディアニュとは? わかりやすく解説

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ラウル・ディアニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 01:46 UTC 版)

ラウル・ディアニュ
名前
カタカナ ラウル・ディアニュ
ラテン文字 Raoul Diagne
基本情報
国籍 フランス
生年月日 (1910-11-10) 1910年11月10日
出身地 フランス領ギアナ サン=ロラン=デュ=マロニ
没年月日 (2002-11-12) 2002年11月12日(92歳没)
身長 187cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DFGK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1930-1940
1940-1944
1944-1946
RCフランス/RCパリ
トゥールーズFC
FCアヌシー
代表歴
1931-1941 フランス 18 (0)
監督歴
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラウル・ディアニュ(Raoul Diagne、1910年11月10日 - 2002年11月12日)は、フランス領ギアナ出身のサッカー選手、サッカー指導者である。フランス代表において最初の黒人選手だった。

セネガル出身で黒人初のフランス国民議会議員となったブレーズ・ジャーニュを父に持ち、フランス領ギアナで生まれ育つ。

1930年にフランス本国へ渡り、RCフランス(1932年からはRCパリ)に入団。1940年まで同クラブに所属し、1回のリーグ優勝(1935-36)と3回のカップ優勝(1935-36、1938-39、1939-40)を経験した。ディフェンダーおよびゴールキーパーというふたつの異なるポジションをこなし、そのどちらにおいても秀でていた。

フランス代表では通算18試合に出場。最初の試合は1931年のチェコスロバキアとの親善試合だった。フランスで開催された1938年ワールドカップでは、1回戦のベルギー戦と準々決勝のイタリア戦の2試合に出場した。

引退後はセネガル代表の監督を務めた。セネガルにおいて彼は「セネガルサッカーの父」と考えられている。

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