ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン (甥)とは? わかりやすく解説

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ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン (甥)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 09:10 UTC 版)

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ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン
Johann Heinrich Tischbein
自画像
生誕 1742年11月28日
ヘッセン=ダルムシュタット方伯領, ハイナ
死没 1808年12月22日
カッセル

ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン(Johann Heinrich Tischbein der Jüngere、1742年11月28日 - 1808年12月22日)はドイツの画家である。叔父に同名の画家がいるため、der Jüngere がつけられる。多くの画家を出したティシュバイン一族の画家、版画家である。

略歴

ヘッセンのハイナに生まれた。父親は修道院の木工師のヨハン・コンラート・ティシュバイン(Johann Konrad Tischbein:1712–1778)で、弟にゲーテの肖像画で有名になったため「ゲーテのティシュバイン」と呼ばれるヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバインがいる。同名の画家の叔父、ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン(Johann Heinrich Tischbein der Ältere: 1722- 1789)から、美術の教育を受けた。しばらくオランダで修行した後、カッセルに移り伯父がヘッセン=カッセル方伯、ヴィルヘルム8世のために作った美術館で働き始め、1775年に美術館のインスペクター(学芸員)に任じられた。1801年からは妹の息子フランツ・プフォル(Franz Pforr:1788-1812)を養子として、その教育を行った。プフォルはウィーンの美術院に進み、「ナザレ派」の画家となったが24歳で病没した。

肖像画、風景画、動物画を描いた。動物画の分野では1790年に84の作品からなる"Kurtzgefaßte Abhandlung über die Aetzkunst"(「版画技術集」)を出版した。この版画集には、動物園で死んだ後、その骨格をゲーテが研究したため、「ゲーテの象」(Goethe-Elefant)と呼ばれる像の図も含まれている。

作品

参考文献

  • Louis Katzenstein: Tischbein, Johann Heinrich. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 38, Duncker & Humblot, Leipzig 1894, S. 362–371. (Sammelartikel)



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