ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒとは? わかりやすく解説

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ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 05:47 UTC 版)

ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒ
Johanna Gabriela von Österreich

出生 1750年2月4日
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
死去 (1762-12-23) 1762年12月23日(12歳没)
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
埋葬 神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーンカプツィーナー納骨堂
家名 ハプスブルク=ロートリンゲン家
父親 フランツ1世
母親 マリア・テレジア
宗教 キリスト教カトリック教会
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ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒJohanna Gabriela von Österreich, 1750年2月4日 - 1762年12月23日)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの間の第11子、八女。全名はマリア・ヨハンナ・ガブリエーラ・ヨーゼファ・アントニア(Maria Johanna Gabriela Josepha Antonia)。

愛らしく気立ての優しい性格で、家族や宮廷の人々から広く愛された。1歳年下の妹マリア・ヨーゼファと仲が良く、2人で子供部屋や養育係(Aja)を共用していた。1762年に天然痘のため12歳で死去した。遺骸はカプツィーナー納骨堂に安置されたが、心臓だけは切り取られてウィーン・アウグスティナー教会英語版内のロレート礼拝堂ドイツ語版の、ハプスブルク家の成員の心臓を安置する部屋に保管された。

ヨハンナ・ガブリエーラ大公女、ジャン・エティエンヌ・リオタール画

参考文献

  • Friedrich Weissensteiner: Die Töchter Maria Theresias. Kremayer & Scheriau. 1991
  • Gigi Beutler: Die Kaisergruft, Wien 2001



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