ヨハネス・スピルベルクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハネス・スピルベルクの意味・解説 

ヨハネス・スピルベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 00:37 UTC 版)

ヨハネス・スピルベルク
Johannes Spilberg
スピルベルク作「エステルの饗宴」
生誕 (1619-04-30) 1619年4月30日
デュッセルドルフ
死没 1690年8月10日(1690-08-10)(71歳)
デュッセルドルフ

ヨハネス・スピルベルク(Johannes Spilberg、1619年4月30日 - 1690年8月10日)は、17世紀のドイツの画家である。プファルツ選帝侯、フィリップ・ヴィルヘルムやその子ヨハン・ヴィルヘルムの宮廷画家を務めた。

略歴

デュッセルドルフで生まれた。宮廷画家の一族で、同名の父親 Johannes Spilberg der Ältereもプファルツ選帝侯、ヴォルフガング・ヴィルヘルムの宮廷画家であったが作品は残されていない[1]。叔父にスペイン王室の宮廷画家になったガブリエル・スピルベルク(Gabriel Spilberg)がいる。

父親から絵を学び、デュッセルドルフの学校で学問を学んだ後、1640年に選帝侯ヴォルフガング・ヴィルヘルムに命じられて、推薦状をもってアントウェルペンの画家、ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640) のもとに修行に送られたが、ルーベンスはその年に亡くなっていたので、アムステルダムで肖像画を得意とする画家のホーファールト・フリンク(1615-1660)に学ぶことになり、7年間修業した。

歴史画や肖像画で人気の画家となり、1650年にはアムステルダムの銃士隊の集団肖像画の依頼も受けた。1648年にアムステルダムの女性と結婚した。2人の息子と3人の娘が生まれ、娘の一人、アドリアナ・スピルベルク(Adriana Spilberg: 1650-1697)は画家になり、ヴィルヘルム・ブレークフェルト(Wilhelm Breekvelt: 1658–1687)と結婚し、夫が亡くなった後、エグロン・ファン・デル・ネール (1636–1703)と結婚した。

1650年代の初め、デュッセルドルフ宮廷の宮廷画家として招かれたが、1653年にアムステルダムに戻り、1661年に再び呼ばれ、宮廷画家に任じられ、1690年に亡くなるまで宮廷画家の地位にあった[2][3][4][5]。建築家のミヒャエル・カニョン(Michael Cagnon)の設計したデュッセルドルフの教会(Neanderkirche)の装飾画も描いた。

デュッセルドルフで没した。

作品

参考文献

  1. ^ Friedrich Schaarschmidt: Zur Geschichte der Düsseldorfer Kunst, insbesondere im XIX. Jahrhundert. Verlag des Kunstvereins für die Rheinlande und Westfalen, Düsseldorf 1902, S. 10 (online)
  2. ^ Karl Leopold Strauven: Ueber künstlerisches Leben und Wirken in Düsseldorf bis zur Düsseldorfer Maler-Schule unter Direktor Schadow. Hofbuchdruckerei H. Voß, Düsseldorf 1862, S. 7 ff. (online)
  3. ^ Hans-Joachim Raupp (Hrsg.): Porträts. Niederländische Malerei des 17. Jahrhunderts der SØR Rusche Sammlung. LIT Verlag, Münster, Hamburg, London, 1995, ISBN 3-8258-2204-4, S. 136 (online)
  4. ^ Arnold Houbraken: De groote schouwburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen. Gent, 1721, S. 42 f. (online, Wiedergabe auf einer Webseite im Portal dbnl.org (2009))
  5. ^ Friedrich Lau: Geschichte der Stadt Düsseldorf. Erster Band: Von den Anfängen bis 1815. Düsseldorf 1921, S. 199 (online)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ヨハネス・スピルベルクのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハネス・スピルベルク」の関連用語

ヨハネス・スピルベルクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハネス・スピルベルクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハネス・スピルベルク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS