ヤロスラフ・チェルマークとは? わかりやすく解説

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ヤロスラフ・チェルマーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 23:54 UTC 版)

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ヤロスラフ・チェルマーク
Jaroslav Čermák
ヤン・ヴィリーメクによる肖像画
生誕 1830年9月1日
チェコ,プラハ
死没 1878年4月23日
フランス,パリ

ヤロスラフ・チェルマーク(Jaroslav Čermák、1830年9月1日 - 1878年4月23日)はチェコの画家である。おもに歴史画を描いた。

略歴

プラハの裕福な家に生まれた[1]。妹がポーランド人貴族、政治家のイェジ・コンスタンティ・チャルトリスキに嫁いでいる。子供時代に大怪我をしてベッドで過ごさなければならなかった時、絵に興味を持った。1847年にプラハの美術アカデミーに入学して、クリスティアン・ルーベンに学ぶが、一年ほどで母親がプラハではよい教育が得られないととして、ベルギーに移り、アントウェルペン王立芸術学院に入学し、フスタフ・ワッペルスに学んだ[1]。1850年に近世の歴史画を描くのが得意な画家、ルイ・ガレ(Louis Gallait:1810–1887)と知り合いその後指導を受けることになった。

1852年にパリに移り、その後はパリを拠点に活動した。パリではロマン主義の画家、ウジェーヌ・ドラクロワや「オリエンタリズム」の画家アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカンと知り合い、影響を受けた。1850年代や1860年代はヨーロッパ各地を旅しその土地の歴史を描いた。バルカン半島やトルコや故郷のボヘミアを訪れた。バルカンの風俗を描いた作品のスタイルは、「オリエンタリズム」絵画に共通するものがあった[1]

作品

脚注

  1. ^ a b c Catalogue exposition 2014, CD-ROM Annexes, doc. 2, p. 17

参考文献

  • Stéphane Paccoud et Stephen Bann, L'invention du passé : Histoires de cœur et d'épée en Europe 1802-1850, t. 2, Hazan, 2014, 320 p. (ISBN 9782754107600)
  • Naděžda Blažíčková-Horová, Jaroslav Čermák, Hlinsko, 1994
  • Markéta Theinhardt, Jaroslav Cermak (1830 -1878) und Karel Purkyne (1834 -1868) : Zwei tschechische Maler auf einer historisierenden Suche nach künstlerischer Identität und die Idee der * Reformation in Böhmen, Greifswald, 1999
  • Catalogue exposition, L'Invention du Passé. Histoires de cœur et d'épée en Europe 1802-1850, t. 2, Paris, Musée des Beaux-Arts de Lyon - Hazan, 2014, 320 p. (ISBN 978-2-7541-0760-0)



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