ヤスマフ・アダド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/25 15:50 UTC 版)
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イシュメ・ダガン1世 | |
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マリ王 | |
在位 | 紀元前1796年頃 - 紀元前1777年頃 |
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死去 | 紀元前1777年頃 |
父親 | アッシリア王シャムシ・アダド1世 |
ヤスマフ・アダド(Yasmah Adad、生没年不詳)は古アッシリア王国時代のアッシリア王シャムシ・アダド1世の息子である。同王によってマリ王ヤフドゥン・リムが倒された後、マリ王に任じられていた。
ただし彼が独自に取れる政策は多くは無かったらしい事が、マリ遺跡から発見された彼と父王シャムシ・アダド1世の間でやり取りされた文書類から理解される。エカラトゥムに拠った兄のイシュメ・ダガン1世ともども、統治に関してはシャムシ・アダド1世の細かい指示を受けている。
シャムシ・アダド1世が紀元前1781年に死ぬと、アッシリアはエシュヌンナ王イバル・ピ・エル2世の攻撃を受け、マリ方面の統制を失った。その後ヤフドゥン・リムの息子ジムリ・リムがバビロンの王ハンムラビの支援を受けて王座奪回を謀り、マリ王位はジムリ・リムに奪われた。その後のヤスマフ・アダドの消息は不明である。
書籍によってはヤスマフ・アッドゥと記述される。これはアッカド語で記述されるAdadが、アムル語など西セム系の言語ではアッドゥと発音される事による。
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ヤスマフ=アダド
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