ヤキバノカエリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 13:49 UTC 版)
作者 | 熊谷守一 |
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製作年 | 1947年 |
種類 | 油彩画 |
寸法 | 50.0 cm × 60.5 cm (19.7 in × 23.8 in) |
所蔵 | 岐阜県美術館 |
『ヤキバノカエリ』は、熊谷守一が1947年に発表した絵画作品[1]。岐阜県美術館蔵[2]。
概要
勤労動員による過労で[3]、結核を患い21歳で亡くなった長女・萬の火葬の後に[2]、戦後の焼け野原を背にして帰る熊谷守一自身と長男の黄と榧の姿を簡明な形とし[3]、抑えられた色調で侘しさを感じさせる形で描いている[2]。1948年の「裸婦」と共に太い輪郭線と単純なフォルムで描かれ熊谷独自の画風を確立したとされ[1]、アンドレ・ドランの絵画『ル・ベックを流れるセーヌ川』から構図や色彩の影響を受けていると思われる[2]。
新潮文庫から発刊された志賀直哉の『和解』の装丁に用いられている。
脚注
- ^ a b 森谷連「熊谷守一の裸婦」『岐阜県美術館所蔵名品展 岐阜県美術館・埼玉県立近代美術館交換展』埼玉県立近代美術館、1985年、29頁。
- ^ a b c d “波乱万丈の画家人生 70年を追う「熊谷守一 生きるよろこび」展”. ARTalk. 2021年8月22日閲覧。
- ^ a b 平光明彦「熊谷守一《ヤキバノカエリ》昭和22年岐阜県美術館蔵」『昭和の美術 日本画・洋画・彫刻・工芸 第3巻』毎日新聞社、1990年、68頁。
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