メレティオス (メタクサキス)とは? わかりやすく解説

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メレティオス (メタクサキス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 14:16 UTC 版)

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メレティオス4世
コンスタンディヌーポリ全地総主教
メレティオス(1923年撮影)
着座 1921年
離任 1923年
個人情報
本名 エマヌイル・メタクサキス
出生 1871年
死去 1935年
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メレティオス(修道誓願前の姓:メタクサキス、ギリシア語: Μελέτιος (Μεταξάκης), Meletios (Metaxakis) 1871年 - 1935年)は、正教会の聖職者。アテネ大主教(在任:1918年 - 1920年)、コンスタンディヌーポリ全地総主教(在任:1921年 - 1923年)、パパ・アレクサンドリア総主教(在任:1926年 - 1935年)を歴任した。修道名メレティオスを授かる前の俗名はエマヌイル・メタクサキス(Εμμανουήλ Μεταξάκης)。

生涯

エレフテリオス・ヴェニゼロス首相の支持者として知られ、ギリシャ王国の国王コンスタンティノス1世の退位に伴い王党派のセオクリトス・ミノプロス(Θεόκλητος Μηνόπουλος)に代わってアテネ大主教に選立される前は、キプロス主教として奉職していた。2年後、コンスタンティノス1世が王位に復帰すると、大主教メレティオスは退位させられ、大主教セオクリトスが復位した。1921年に、メレティオスはコンスタンディヌーポリ全地総主教に選立された。希土戦争においてギリシャ軍が敗北を喫すると、メレティオスは1923年に総主教位から退いた。

数年後、パパ・アレクサンドリア総主教に選立された。1935年に永眠。

名に付される数につき

各主教位に過去に同名の主教が居たため、それぞれの位で名に付される数が変わる。

  • アテネ大主教として - メレティオス3世
  • コンスタンディヌーポリ総主教として - メレティオス4世
  • アレクサンドリア総主教として - メレティオス2世

脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク


先代:
セオクリトス1世
アテネ及び全ギリシャの大主教
1918年 - 1920年
次代:
セオクリトス1世
先代:
ゲルマノス5世
コンスタンディヌーポリ全地総主教
1921年1923年
次代:
グリゴリオス7世
先代:
フォティオス
パパ・アレクサンドリア総主教
1926年 - 1935年
次代:
ニコラオス5世




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