ムバーラク・シャー (サイイド朝)とは? わかりやすく解説

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ムバーラク・シャー (サイイド朝)

(ムイズウッディーン=ムバーラクシャー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 05:43 UTC 版)

ムバーラク・シャー
サイイド朝第2代君主
コトラ・ムバーラクプルにあるムバーラク・シャーの墓廟
在位 1421年 - 1434年

死去 1434年
王朝 サイイド朝
父親 ヒズル・ハーン
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ムバーラク・シャー(? - 1434年)は、インド北部を支配したサイイド朝の第2代君主(在位:1421年 - 1434年)。

生涯

初代君主であるヒズル・ハーンの子。1421年の父の死で即位した[1]。父と同じく勢力拡大を目指して強攻策を採る。父は前王朝のトゥグルク朝の貨幣をそのまま使用していたが、ムバーラクは1429年に独自の貨幣を鋳造した。さらに父が服属していた宗主国・ティムール朝からの独立を宣言する。これがシャー・ルフの怒りを買って討伐を受けるが、これを撃退して独立を明確化した。

しかしこれは逆にティムール朝の後援を得ることができなくなったことも意味していた。これにより、逆に王朝内での権力闘争を勃発させる。もともとデリー一帯を支配するしかないほど君主権が脆かったムバーラクではこの権力闘争を抑えきれず、1434年に宰相のサルヴァル・アルムルクに殺されてしまった[1]

後を甥のムハンマド・シャーが継いだ[1]

脚注

  1. ^ a b c ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151

参考文献

  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 

関連項目

先代
ヒズル・ハーン
サイイド朝
1421年 - 1434年
次代
ムハンマド・シャー



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