ミロスラフ・クラリェヴィッチとは? わかりやすく解説

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ミロスラフ・クラリェヴィッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 23:39 UTC 版)

ミロスラフ・クラリェヴィッチ
Miroslav Kraljević
「犬といる自画像」(1910) ザグレブ近現代美術館(蔵)[1]
誕生日 1885年12月14日
出生地 クロアチア,ゴスピッチ
死没年 1913年4月16日
死没地 クロアチア,ザグレブ
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ミロスラフ・クラリェヴィッチ(Miroslav Kraljević、1885年12月14日 - 1913年4月16日)はクロアチアの画家、イラストレーター、彫刻家である[2]。クロアチアのモダンアートの基礎を築いた一人とされるが27歳で病没した。

略歴

現在のクロアチア、リカ=セニ郡のゴスピッチ(Gospić) に生まれた。1904年にウィーンに移り、法律を学ぶが、風景画家のゲオルク・フィッシュホフ(Georg Fischhof:1859-1914)から絵を学んだ[3] 。2年後、法律の学校を中退して、画家の道に進むことにして[4]、1906年にミュンヘンに移り、ミュンヘン美術院に入学し、フーゴー・フォン・ハーベルマンに学んだ[3]

ミュンヘン美術院を卒業した後、クロアチアに戻り、ポジェガに移っていた家族の家に滞在し1910年から1911年の間は、自画像や、風景画を描き、彫刻も始めた[3]

奨学金を得て1911年にパリに留学し、グランド・ショミエール芸術学校で修業するが、結核を発症した[3]。1912年の秋、ザグレブに移り、最初の個展を開いた。1913年12月に結核の療養所に入るまで多くの作品を描いた。療養所で2ヶ月館間、療養した後、ザグレブに戻ったが、ザグレブで死去した。27歳であった。

作品

参考文献

  1. ^ Modern Gallery”. Zagreb: Modern Gallery, Zagreb. 2010年6月17日閲覧。
  2. ^ Miroslav Kraljević” (クロアチア語). Zagreb: National and University Library. 2013年4月23日閲覧。
  3. ^ a b c d Miroslav Kraljević Biography” (クロアチア語). Gallery Divila. 2011年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月17日閲覧。
  4. ^ Miroslav Kraljević” (クロアチア語). HRT Archives. 2008年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月17日閲覧。



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