ミケーレ・ゴルディジャーニとは? わかりやすく解説

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ミケーレ・ゴルディジャーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:15 UTC 版)

ミケーレ・ゴルディジャーニ
Michele Gordigiani
生誕 1835年5月29日
イタリア,フィレンツェ
死没 1909年10月7日
イタリア,フィレンツェ

ミケーレ・ゴルディジャーニ(Michele Gordigiani、1835年5月29日 - 1909年10月7日[1])はイタリアの肖像画家である。

略歴

フィレンツェで生まれた。父親は作曲家のルイージ・ゴルディジャーニ(Luigi Gordigiani:1800-1860)で、母方の祖父、マウロ・ジュリアーニは有名なギタリスト・作曲家である。

フィレンツェの美術学校でジュゼッペ・ベッツォーリに学んだ。その後ルイージ・ノルチーニやシルヴェストロ・レーガにも学んだ。ルイージ・ムッシーニの私塾の学生にもなった。

1850年代半ばからフィレンツェの芸術家たちのたまり場であった「カッフェ・ミケランジョロ」に出入りするようになり、「マッキア派」となる画家たちの肖像画も描いた。

1860年に知り合いで、パリでナポレオン3世の愛人となった、カスティリオーネ伯爵夫人に招かれてパリに移り、伯爵夫人の肖像画を描いた[2]。肖像画家としての評価が高まり、多くの王族や貴族から、肖像画の注文を受けるようになった。ゴルディジャーニが肖像画を描いた人物にはサルデーニャ王国の国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世や王女マルゲリータもいる。、

1867年にロンドンに滞在し、ビクトリア女王とその配偶者アルバートの肖像画を描き[3]、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会にも作品を出展した。各地の博覧会にも出展し、晩年にはアメリカにも旅した。

ゴルディジャーニの弟子には Fosco Tricca、Francesca Magliani、 Pompeo Massani、Alfredo Müllerらがいる。

作品

参考文献

  1. ^ « Michele Gordigiani », site de la British National Portrait Gallery
  2. ^ Palazzo Strozzi exhibition, Americans in Florence. Sargent and the American Impressionists.
  3. ^ National Portrait Gallery images.



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