ミクリン公国とは? わかりやすく解説

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ミクリン公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 03:29 UTC 版)

T
K
H
D
M
Z
MO
N
S
トヴェリとその分領公国

T:トヴェリ大公国、K:カシン公国、H:ホルム公国、M:ミクリン公国、 D:ドロゴブージ公国、Z:ズブツォフ公国
周辺の主な公国
MO:モスクワ大公国、N:ノヴゴロド公国、S:スモレンスク公国

ポイントは公国の首都の位置のみを示す。国境線は現在のもの。

ミクリン公国ロシア語: Микулинское княжество)はミクリン(現ロシアモスクワ州ミクリノ)を首都とした、トヴェリ大公国分領公国である。1485年にモスクワ大公国領となって消滅した。

ミクリン公国は1339年、トヴェリ大公アレクサンドルが死亡した後、アレクサンドルの息子ミハイルがミクリンを受領し、成立した。

1364年にトヴェリ大公国領域にペストが流行し、複数の諸公や貴族(ボヤーレ)が病死した。その相続権をめぐる、生き残った公たちの紛争は、モスクワ大公国リトアニア大公国介入する軍事衝突へと発展した。すなわち、モスクワの支援を得たトヴェリ大公ヴァシリー、その息子のカシン公ミハイルに対し、ミクリン公ミハイルはリトアニアの支援を得てこれに抗戦した。その後1368年にトヴェリ大公ヴァシリーが死亡したため、ミクリン公ミハイルはトヴェリ大公位を手中に収めた。

1399年にミハイルが死亡した後は、ミクリン公国はミハイルの子フョードルへ、さらにその子孫へと継承されていった。最後のミクリン公アンドレイは、1485年にトヴェリ大公国がモスクワ大公国に併合した際に、モスクワ大公に仕え、同国の貴族となった。その子孫は、モスクワ大公国の貴族・ミクリンスキー家(ru)として16世紀半ばまで存続した。

参考文献

  • Н. В. Сычев «Книга династий» — Москва: «АСТ», 2005.
  • А. Б. Широкорад «Альтернатива Москве. Великие княжества Смоленское, Рязанское, Тверское» — Москва: «АСТ», 2010.

関連項目




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