マーティン・ピータースとは? わかりやすく解説

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マーティン・ピータース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 07:27 UTC 版)

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マーティン・ピータース
2007年
名前
本名 マーティン・スタンフォード・ピータース
Martin Stanford Peters
ラテン文字 Martin Peters
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 (1943-11-08) 1943年11月8日
出身地 プレイストー
没年月日 (2019-12-21) 2019年12月21日(76歳没)
身長 184cm
選手情報
ポジション MF
ユース
ウェストハム
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1959-1970 ウェストハム 302 (81)
1970-1975 トッテナム 189 (46)
1975-1980 ノリッジ 207 (44)
1979 フランクストン (ゲスト) 5 (3)
1980-1981 シェフィールド・U 24 (4)
1982-1983 ゴーレストン
通算 727 (178)
代表歴2
1966-1974 イングランド 67 (20)
監督歴
1981 シェフィールド・U
1. 国内リーグ戦に限る。2020年11月3日現在。
2. 2020年11月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マーティン・スタンフォード・ピータース MBEMartin Stanford Peters MBE, 1943年11月8日 - 2019年12月21日)は、ロンドンニューアム区プレイストー出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーサッカーイングランド代表史上唯一の優勝である1966 FIFAワールドカップの優勝メンバーである。

クラブ経歴

1959年に15歳でウェストハム・ユナイテッドFCに加入、1960年にプロ契約を結ぶ。1962年、ロン・グリーンウッド監督の下でリーグ戦デビューを果たす。1963-64シーズンにレギュラーの地位を掴み、リーグ32試合に出場する。そのシーズンにチームはFAカップで優勝したが自身の出番は無かった。翌1964-65シーズンのUEFAカップウィナーズカップではウェストハムの優勝に貢献した。1965-66シーズンにチームはリーグカップ決勝に進出するが、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに敗れた。1968-69シーズンにキャリアハイとなるリーグ戦19ゴール、公式戦24ゴールを記録。自身初のハットトリックも記録した。

1970年3月にトッテナム・ホットスパーFCへと20万ポンドという記録的な移籍金で移籍した(代わりにジミー・グリーブスがウェストハムへと5万ポンドで移籍しているため、実質の移籍金は15万ポンドだった。)。トッテナムではビル・ニコルソンの下で、1971年、1973年のリーグカップ2度の優勝や1971-72シーズンのUEFAカップ優勝に貢献。1973-74シーズンのUEFAカップでも決勝進出に貢献した。

1975年3月にノリッジ・シティFCへと4万ポンドで移籍した。ノリッジではチームが1部リーグに定着するのを助けた。1978年に大英帝国勲章を叙勲。また、1979年にオーストラリアのフランクストン・シティというチームでゲストプレイヤーとして5試合に出場し、3ゴールを記録した。この5試合でチームは4勝(1分)した。

1980年にシェフィールド・ユナイテッドFCに移籍。1981年1月、チームの監督が病気でチームの指揮が出来ない状況に陥った時に現役を引退し、そのままチームの監督に就任した。しかしチームを立て直すことができず、シェフィールド・ユナイテッドはクラブ史上初の4部リーグに降格した。

およそ20年間のキャリアで大きな怪我をすることも無く、通算882試合に出場。220ゴールを記録した。

代表経歴

アルフ・ラムゼイの下で1966年5月にサッカーイングランド代表で初キャップを記録。ウェストハム・ユナイテッドFCでチームメイトのボビー・ムーアジェフ・ハーストと共に1966 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれた。

1966年のワールドカップ本戦では初戦の0-0で引き分けたウルグアイ代表戦では出場しなかったが、その試合後にラムゼイが従来の戦術から、ウイングを外し中盤の運動量を重視した4-4-2システム(ウイングレス・システム)に変更すると第2戦から起用されスタメンに定着。チームは勝ち進み、決勝に進出した。決勝の西ドイツ代表戦では78分に一時勝ち越しとなるゴールを決め、優勝に貢献した。

UEFA欧州選手権1968の代表メンバーにも選ばれるとチームの3位に貢献した。

1970 FIFAワールドカップの代表メンバーにも選ばれると準々決勝の西ドイツ戦で4年前と同じくゴールを決めた。チームは自身のゴールとアラン・マレリーのゴールによって後半途中までリードしていたが結局延長戦の末3-2で敗れ、連覇を逃した。

1972年のUEFA欧州選手権1972、1974年の1974 FIFAワールドカップでは代表が予選で敗退し出場出来なかった。

引退後

2006年にウェストハム・ユナイテッドFC時代の指揮官であるロン・グリーンウッドと共にイングランドサッカー殿堂入りを果たした。

2016年にアルツハイマー病にかかっていることが判明した。

2019年12月21日、76歳で死去。

タイトル

ウェストハム
トッテナム
イングランド代表
個人

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