マージョリー・トーマスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マージョリー・トーマスの意味・解説 

マージョリー・トーマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 09:40 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。2019年5月

マージョリー・トーマス(Marjorie Thomas、1923年6月5日 - 2008年9月12日)は、イギリス出身のコントラルト歌手[1]

サンダーランドの生まれ。2歳の時にオールダムに移住し、ヒューム女子グラマー・スクールでウィリアム・ウォルトンの兄ノエルにピアノを学んだ。また地元の聖ポール教会聖歌隊に入って歌に興味を持つようになった。1940年にマンチェスター王立音楽大学でピアノ専攻で入学したが、エルジー・サーストンに声楽を師事して歌手の道に進むようになった。1944年に大学を卒業後は、第二次世界大戦が終結するまで、ストックポートのグラマー・スクールの教師を務めた。1945年にジョン・バルビローリの指揮するハレ管弦楽団エドワード・エルガーの《海の絵》を歌ってプロフェッショナルの歌手として活動するようになり、その年の12月にはロンドン・ディーリアス祭でトマス・ビーチャムとも共演した。1947年に結婚し、1948年に育児のため音楽活動から遠ざかったが、1950年にグラインドボーン音楽祭でのリヒャルト・シュトラウスの《ナクソス島のアリアドネ》、チェルトナム・フェスティヴァルでのベンジャミン・ブリテンの《アルバート・ヘリング》のそれぞれに出演して復帰を果たした。その後も、ギルバート&サリヴァンのオペレッタの録音に参加したり、コヴェントガーデン王立劇場でリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇上演に参加したりして名声を高め、1960年から1964年まで母校マンチェスター王立音楽院で教鞭をとった。1973年に演奏活動から身を引き、ロンドン王立音楽院の教授となったが、1990年に退官して隠遁した。

ロンドンにて死去。

脚注

  1. ^ [1]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マージョリー・トーマス」の関連用語

マージョリー・トーマスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マージョリー・トーマスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマージョリー・トーマス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS