マリーノ・ファリエロとは? わかりやすく解説

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マリーノ・ファリエロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 14:56 UTC 版)

マリーノ・ファリエロの処刑、ウジェーヌ・ドラクロワ画、1827年
ドゥカーレ宮殿の大評議会の間で肖像画の代わりに描かれた黒いバナー。ラテン語で「ここはマリーノ・ファリエロのスペースで、犯罪によって斬首された」と書かれている。

マリーノ・ファリエロ (Marino Faliero, 1285年 - 1355年4月17日)は、ヴェネツィアの第55代元首(ドージェ)。マリーン・ファリエル(Marin Falier)とも呼ばれる。1354年9月に元首となった。

マリーノは、1355年に自身が世襲君主となるべくクーデター英語版を計画した。ヴェネツィア貴族への強い憎しみと、自身の年齢に由来する思考能力の低下(マリーノは当時70歳だった)により、失敗の見える行動を起こしたとみなされた。彼は自身の全ての罪を弁護し、処刑され、死後に四肢を切り刻まれた。他に10人の協力者が、処刑された後ドゥカーレ宮殿の外に吊された。

彼は記録抹殺刑に処せられ、初代元首から第76代アントニオ・グリマーニイタリア語版英語版までの元首の肖像が飾られる宮殿内には彼のものはない。(元首の肖像が飾られているエリアの一角に、肖像画の代わりに黒いバナーが描かれている箇所があり、そこがマリーノ・ファリエロの場所である)

フィクションの中のファリエロ

バイロンが、彼を主人公に戯曲『マリーノ・ファリエロ』(1820年)を書いた。それを題材に作曲家ガエターノ・ドニゼッティオペラ『マリーノ・ファリエロ』を作曲し、1835年パリで初演された。

関連書籍

  • 塩野七生『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』中央公論社、1980
  • 永井三明『ヴェネツィアの歴史 共和国の残照』 (刀水歴史全書)刀水書房, 2004.5
  • 中平希『ヴェネツィアの歴史 海と陸の共和国』 (創元世界史ライブラリー) 創元社, 2018.3


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