マリオ・ジュロヴスキーとは? わかりやすく解説

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マリオ・ジュロヴスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 09:58 UTC 版)

マリオ・ジュロヴスキー
2018年のジュロヴスキー
名前
愛称 Mario
ラテン文字 Mario Đurovski
マケドニア語 Марио Ѓуровски
基本情報
国籍 北マケドニア
セルビア
生年月日 (1985-12-11) 1985年12月11日(38歳)
出身地 ユーゴスラビア ベオグラード
身長 180cm
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
2001-2003 FKチュカリチュキ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 レッドスター・ベオグラード 0 (0)
2003 ムラデノヴァツ(loan) 12 (6)
2003 ソポト(loan) 14 (3)
2004-2007 ベジャニヤ 83 (18)
2007-2010 ヴォイヴォディナ 56 (10)
2011 メタルルフ・ドネツィク 7 (0)
2012-2015 ムアントン・ユナイテッド 121 (59)
2016-2017 バンコク・ユナイテッド 57 (29)
2018 バンコク・グラス 14 (4)
2019 ムアントン・ユナイテッド 5 (1)
代表歴2
2010–2014 北マケドニア 12 (2)
監督歴
2020-2023 ムアントン・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月11日現在。
2. 2012年2月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マリオ・ジュロヴスキー(Mario Gjurovski, Mario Đurovski、1985年12月11日 - )は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国ベオグラード出身の元北マケドニア代表サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー

父のミルコと伯父のボスコは共に元ユーゴスラビア代表マケドニア代表。ボスコは名古屋グランパス京都サンガF.C.でコーチ・監督を務めたことでも知られる。

経歴

選手

セルビアのクラブを渡り歩き、ウクライナFCメタルルフ・ドネツィクを経て2012年にムアントン・ユナイテッドFCに加入。2016年1月、自由移籍でバンコク・ユナイテッドFCに加入し2シーズン在籍。2018年シーズンはバンコク・グラスでプレーした。2018年11月28日、古巣のムアントン・ユナイテッドに復帰したが、2019年6月27日に退団して以降は無所属となっている。タイ・リーグ1では7年間で197試合に出場して93ゴールを記録している。

指導者

2020年10月19日、アレシャンドレ・ガマの後任としてムアントン・ユナイテッドの監督に就任[1]。2021年6月21日、ムアントンとの契約を3年延長した[2]

タイトル

クラブ

ムアントン・ユナイテッドFC

脚注

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