マリア・フォン・バイエルンとは? わかりやすく解説

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マリア・フォン・バイエルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/20 13:30 UTC 版)

マリア・フォン・バイエルン
Maria von Bayern
マリアと娘ウラッカ
出生 (1872-07-06) 1872年7月6日
死去 (1954-06-10) 1954年6月10日(81歳没)
配偶者 カラブリア公フェルディナンド・ピオ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
子女 一覧参照
父親 バイエルンルートヴィヒ3世
母親 マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=エステ
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マリア・ルドヴィガ・テレジア・フォン・バイエルンMaria Ludwiga Theresia von Bayern, 1872年7月6日 - 1954年6月10日)は、バイエルン王国の王族。バイエルン王ルートヴィヒ3世とその妃のオーストリア=エステ大公女マリア・テレジアの間に生まれた次女。両シチリア王家家長カラブリア公フェルディナンド・ピウスに嫁いだ。

子女

1897年5月31日、ミュンヘンにおいてフェルディナンド・ピウスと結婚、6人の子女をもうけた。

  • マリーア・アントニエッタ(1898年 - 1957年)
  • マリーア・クリスティーナ(1899年 - 1985年) - 1948年、エクアドル副大統領マヌエル・ソトマイヨール・ルーナと結婚
  • ルッジェーロ・マリーア(1901年 - 1914年) - ノート公
  • バルバラ(1902年 - 1927年) - 1922年に、シュトールベルク=ヴェルニゲローデ伯爵フランツ・クサーヴァーと結婚
  • ルーチア(1908年 - 2001年) - 1938年、イタリア王子・ジェノヴァ公エウジェーニオと結婚
  • ウラッカ(1913年 - 1999年




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