マット・エリオットとは? わかりやすく解説

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マット・エリオット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/11 06:32 UTC 版)

マット・エリオット
名前
本名 マシュー・スティーヴン・エリオット
ラテン文字 Matt Elliott
基本情報
国籍 スコットランド
イングランド
生年月日 (1968-11-01) 1968年11月1日(56歳)
出身地 ワンズワース
身長 191cm
体重 91kg
選手情報
ポジション DF(CB)
利き足 右足
ユース
レザーヘッド
1987-1988 エプソム&イーウェル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1989 チャールトン・アスレティック 1 (0)
1989-1992 トーキー・ユナイテッド 124 (15)
1992 スカンソープ・ユナイテッド(loan) 8 (1)
1992-1993 スカンソープ・ユナイテッド 53 (7)
1993-1997 オックスフォード・ユナイテッド 148 (21)
1997-2005 レスター・シティ 245 (26)
2004 イプスウィッチ・タウン(loan) 10 (0)
代表歴
1997-2001  スコットランド 18 (1)
監督歴
2011 スタッフォード・レンジャーズ(代行)
2014 アーミー・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マシュー・スティーヴン・エリオット英語: Matthew Stephen Elliott1968年11月1日 - )は、スコットランドイングランドの元サッカー選手、サッカー指導者。1998 FIFAワールドカップスコットランド代表。ポジションはDF

来歴

クラブ

レザーヘッドFC、エプソム・アンド・イーウェルFCでサッカーを始め、チャールトン・アスレティックFCでプロとなった。しかしフットボールリーグ1部に所属するチャールトン・アスレティックではトップチームに割って入る事が出来ず、翌年に4部のトーキー・ユナイテッドFCに移籍。4部で試合に出続けチームを昇格させた。1992年3月に4部のスカンソープ・ユナイテッドFCに期限付き移籍、その後完全移籍。1993年11月にフットボールリーグ・チャンピオンシップ所属のオックスフォード・ユナイテッドFCに完全移籍。

1997年初めにプレミアリーグレスター・シティFCに160万ポンドで完全移籍[1]。当時としては高額なこの移籍金額はオックスフォード・ユナイテッドにとっては史上最高額で、2016年にケマル・ルーフェが移籍するまで20年近く破られなかった[1]。同年にレスター・シティはEFLカップを優勝した[2]。その後は主力として活躍し、狐の尻尾とも称されたプレースタイルで、プレミアリーグでも有数の突破しにくいサイドを作り上げた。他方で規律の問題で物議を醸す事も多かったが[3]、それでもマーティン・オニールピーター・テイラー両監督は彼を中心選手として扱っていた。

2000年のEFLカップでは準決勝で得点をあげて決勝進出に貢献した他 [4]、決勝では2試合ともに得点を記録しタイトル獲得の立役者となった[5]

オニール監督が2000年7月にセルティックFCに移籍のため退任すると、ニール・レノンやスティーヴ・グッピーのように彼もまた愛弟子としてセルティックから移籍のオファーが350万ポンドで来たが[6]、契約期間を2005年6月まで延長したために破談となった[7]。UEFA主催試合では2000年9月28日に行われたUEFAカップ 2000-01レッドスター・ベオグラード戦が最後の試合となった[8]

2004年にイプスウィッチ・タウンFCに期限付き移籍。その後レスターに復帰したものの、最後のシーズンは膝の怪我に悩まされ、出場も僅か3試合に止まり2005年1月を以て引退した[9]

代表

1997年11月12日に行われたフランス代表との親善試合で代表初出場。1998 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれたが本戦での出場機会は無かった。2000年10月7日に行われたサンマリノ代表戦でヘディングゴールで代表唯一の得点を記録した。代表最後の試合は2001年10月6日のラトビア代表戦であった。

指導歴

2008年6月9日、トーキー・ユナイテッド時代のチームメイトであるディーン・エドワーズが監督を務めるヘドネスフォード・タウンFCのコーチに就任。しかしプレーオフ圏外に終わり退任した。

その後、2010年10月までGNGオードビー・タウンFCのコーチ、その後はスタッフォード・レンジャーズFCのアシスタントコーチを務めた[10]。2011年1月11日に監督に昇格した[11]

2014年1月、タイ・プレミアリーグアーミー・ユナイテッドFCの監督に就任。アーミー・ユナイテッドは彼が長く在籍したレスター・シティの提携クラブである。半年の在籍でレスター・シティに移籍する事となり6月で退任した。

2015年9月にデ・モントフォート大学の男女両方のチームの監督に就任した[12]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 18試合 1得点(1997年-2001年)[13]


スコットランド代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 1 0
1998 4 0
1999 2 0
2000 6 1
2001 5 0
通算 18 1

出典

  1. ^ a b Pritchard, David (7 July 2016). “Oxford United sell Kemar Roofe to Leeds United in deal believed to be close to £3m”. Oxford Mail. http://www.oxfordmail.co.uk/sport/14604657.Oxford_United_sell_Kemar_Roofe_to_Leeds_United_in_deal_believed_to_be_close_to___3m/ 5 December 2016閲覧。 
  2. ^ “Matt Elliott recalls Wembley glory of 15 years ago ahead of Capital One Cup final”. Sky Sports. (25 February 2015). http://www.skysports.com/football/news/22712/9731835/matt-elliott-recalls-wembley-glory-of-15-years-ago-ahead-of-capital-one-cup-final 7 February 2017閲覧。 
  3. ^ Webster, Rupert. “THE WRONG VICTIM?”. Sky Sports. 7 February 2017閲覧。
  4. ^ “Leicester book Wembley date”. BBC. (2 February 2000). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sport/football/628901.stm 30 June 2015閲覧。 
  5. ^ “Leicester triumph at Wembley”. BBC. (27 February 2000). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sport/football/658945.stm 29 June 2015閲覧。 
  6. ^ “Leicester expect Elliott to stay”. BBC Sport. (31 July 2001). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/c/celtic/1463305.stm 10 February 2009閲覧。 
  7. ^ “Elliott decides to stay”. BBC Sport. (16 August 2001). オリジナルの17 January 2013時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130117234039/http://usproxy.bbc.com/sport2/hi/football/teams/l/leicester_city/1494142.stm 25 October 2009閲覧。 
  8. ^ “Red Star end Leicester dreams”. BBC Sport. (28 September 2000). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/uefa_cup/945130.stm 27 September 2007閲覧。 
  9. ^ “Elliott to retire”. BBC Sport. (31 January 2005). http://www.bbc.co.uk/leicester/content/articles/2005/01/31/matt_elliott_retires_feature.shtml 25 October 2009閲覧。 
  10. ^ “Flowers Brings in Former Team-Mate as Number Two”. Football Conference. (20 October 2010). オリジナルの30 November 2010時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101130234753/http://footballconference.co.uk/news/details.php?news_id=3036 20 October 2010閲覧。 
  11. ^ “Tim Flowers quits as Stafford Rangers manager”. BBC Sport. (11 January 2011). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_conf/9358509.stm 19 January 2011閲覧。 
  12. ^ Leicester City legend Matt Elliott signs for DMU”. De Montfort University (25 September 2015). 29 April 2016閲覧。
  13. ^ マット・エリオット - National-Football-Teams.com

外部リンク


マット・エリオット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:30 UTC 版)

オーベッド・マーシュ」の記事における「マット・エリオット」の解説

エリオット家。オーベッド船長腹心航海士ダゴン信仰批判的だったために、オーベッド派に消された。

※この「マット・エリオット」の解説は、「オーベッド・マーシュ」の解説の一部です。
「マット・エリオット」を含む「オーベッド・マーシュ」の記事については、「オーベッド・マーシュ」の概要を参照ください。

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