マイク・シプリーとは? わかりやすく解説

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マイク・シプリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/12 00:46 UTC 版)

マイク・シプリーMike Shipley1956年10月7日 - 2013年7月25日)は、オーストラリアシドニー出身のグラミー賞受賞ミックス・エンジニア。数十年間にわたり世界の音楽業界で活躍しており、これまで携わったプロジェクトのセールスは数億枚にのぼる。

これまでにクイーンAC/DC、ライナム、ジョニ・ミッチェルカーズミートローフデフ・レパード、フロック・オブ・シーガルズ、ウィンガーザ・クラッシュヴァン・ヘイレンザ・コアーズアンバーリンキム・カーンズケリー・クラークソンシャナイア・トゥエインブロンディエアロスミストム・ペティフォリナーディーヴォチープ・トリック、ジミー・バーネス、エンリケ・イグレシアス、 ティム・マッグロウ、マルーン5ベアネイキッド・レディースベルリンフェイス・ヒルニッケルバックマイケル・ボルトンローナン・キーティングトーマス・ドルビー、リック・オケイセック、ジェファーソン・エアプレイングリーン・デイ、ブレスト・バイ・ア・ブロークン・ハート、ブラック・クロウズアリソン・クラウス、ケイシー・チェンバース、パパ・ローチショーン・コルヴィン、ジョン・ウェイト、マイ・ケミカル・ロマンスなどといった、さまざまなアーティストのプロデュースやミックスに携わってきた。

経歴

イギリスでの学生時代をすごしていた1970年代前半に、レコーディング業に興味を持つようになる。オーストラリアメルボルンの高校を卒業すると、後にクイーンセックス・ピストルズとの仕事で大きなチャンスを掴むことになったウェセックス・スタジオがあるロンドンに戻る。エンジニアとしての最初のセッションは1970年代後半から1980年代前半にかけてパンク・ロックが爆発的に流行した時期と重なり、ダムドなどのレコーディングに携わった。ウェセックス・スタジオ時代の同期にプロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーとクリス・トーマス、エンジニアのティム・フリーズ・グリーン、ビル・プリンスらがいる。

ジョニ・ミッチェルからの依頼を受け、1984年にロサンゼルスに赴いたシプリーは、それ以降ロサンゼルスを活動の拠点とする。

シプリーの音が次第にエンジニア業界で人気を失いはじめると、シプリーは休暇にハワイへ向かった。しかし、すぐにシプリーの音を求めるミュージシャンから仕事の依頼が舞い込むようになり、ロサンゼルスに戻った。以降、キャリアの全盛期を迎え、シャナイア・トゥエインザ・コアーズアンバーリンマルーン5フェイス・ヒル、インディア・アリー、ケリー・クラークソングリーン・デイニッケルバックらとの仕事で大きな成功を収める。

2013年7月25日、自殺。

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