ホセ・フィゲーレス・フェレールとは? わかりやすく解説

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ホセ・フィゲーレス・フェレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 05:07 UTC 版)

ホセ・フィゲーレス・フェレール
32代, 34代, 38代
コスタリカ大統領
任期
1948年5月8日 – 1949年11月8日
前任者 テオドロ・ピカード
後任者 オティリオ・ウラテ
任期
1953年11月8日 – 1958年5月8日
副大統領 Raúl Blanco Cervantes
Fernando Esquivel Bonilla
前任者 オティリオ・ウラテ
後任者 マリオ・エチャンディ
任期
1970年5月8日 – 1974年5月8日
副大統領 Manuel Aguilar Bonilla
Jorge Rossi Chavarría
前任者 ホセ・ホアキン・フェルナンデス
後任者 ダニエル・オドゥベル
個人情報
生誕 José María Hipólito Figueres Ferrer
1906年9月25日
アラフエラ
死没 1990年6月8日
サンホセ
政党 国民解放党
配偶者 Henrietta Boggs
Karen Olsen Beck
専業 政治家

ホセ・マリア・イポリト・フィゲーレス・フェレールスペイン語: José María Hipólito Figueres Ferrer1906年9月25日 - 1990年6月8日)は、コスタリカ政治家。第32代、34代、38代のコスタリカ大統領を務めた[1]。 大統領1期目には、コスタリカの常備軍を廃止し、銀行を国有化した。彼の思想は「フィゲーレス主義(Figuerismo)」と呼ばれる。

生い立ち

1906年9月25日にアラフエラ州で4人兄弟の長男として生まれる[2]。父親はカタルーニャ人の医師で、母親は教師でカタルーニャ州から移民してきていた。

フィゲレスの母語はカタルーニャ語で、両親とはカタルーニャ語で話していた。1924年からアメリカマサチューセッツ工科大学で工学について学ぶ。帰国後はコスタリカ国内の農場を買収し、麻袋や麻ロープ、木製品の製作などの事業を行なったり、農業に関する著作を発表した。

政治キャリア

1948年、暫定大統領に就任。

34代、38代に渡り大統領に幾度となく就任し、軍の廃止、銀行国有化、女性参政権拡大、コスタリカ憲法における最低選挙権年齢の21歳から18歳への引き下げ、黒人差別の規定の廃止、コスタリカ国立大学並びにコスタリカ工科大学の創設など経済・内政の抜本的な改革を行った。安定的な長期政権と共に、社会保障費の拡充や他の左派政権のような独裁傾向に走らず、社会民主主義と高福祉を目指したフィゲーレスは今でも近現代コスタリカ史に大きな影響を与えている。

10000コロン紙幣に彼の肖像と軍隊が描かれている。

脚注




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