フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (ザクセン=アルテンブルク公)とは? わかりやすく解説

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フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (ザクセン=アルテンブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 01:45 UTC 版)

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
Friedrich Wilhelm III.
ザクセン=アルテンブルク
在位 1669年 - 1672年

出生 (1657-07-12) 1657年7月12日
神聖ローマ帝国
ザクセン=アルテンブルク公領、アルテンブルク
死去 (1672-04-14) 1672年4月14日(14歳没)
神聖ローマ帝国
ザクセン=アルテンブルク公領、アルテンブルク
埋葬 1672年7月17日
神聖ローマ帝国
ザクセン=アルテンブルク公領、アルテンブルク城内教会
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=アルテンブルクフリードリヒ・ヴィルヘルム2世
母親 マグダレーナ・ジビュレ・フォン・ザクセン
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フリードリヒ・ヴィルヘルム3世ドイツ語:Friedrich Wilhelm III., 1657年7月12日 - 1672年4月14日)は、ザクセン=アルテンブルク公(在位:1669年 - 1672年)。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の死により、この家系のザクセン=アルテンブルク家は断絶した。

生涯

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、ザクセン=アルテンブルクフリードリヒ・ヴィルヘルム2世とその2番目の妃マグダレーナ・ジビュレ・フォン・ザクセンの息子である。1669年の父の死後にザクセン=アルテンブルク公位を継承したが、母方の伯父であるザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク2世およびザクセン=ツァイツ公モーリッツが後見人として公領の統治を行った[1]。1672年、ドレスデンから帰還してまもなく、わずか14歳で天然痘により死去した[1]。7月17日にアルテンブルク城内教会の父の墓所に埋葬された。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の死により、1603年に始まるザクセン=アルテンブルク家は断絶した。

最年長の男系親族が継承すべきという父の遺言に従い、ザクセン=ゴータエルンスト1世がアルテンブルク公領を単独で継承した。しかし、エルンスト1世は-誠意と自らの意志により-領土の約4分の1にあたる領地や権利をザクセン=ヴァイマル家に譲ることで、同じく継承権を保持するザクセン=ヴァイマル家を納得させた[1]

脚注

  1. ^ a b c August Beck (1877). “Friedrich Wilhelm III”. Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 7. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 794.
先代
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世
ザクセン=アルテンブルク
1669年 - 1672年
次代
エルンスト1世



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