フェロー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:51 UTC 版)
「ウォルター・ペイター」の記事における「フェロー時代」の解説
1862年に人文学試験(Literae Humaniores)を、二級学位(second-class)の成績で通過し文学士号を取得したペイターは、その後1864年にブレイズノーズ・コレッジの特別研究員(フェロー)へ選出されてから1883年に辞職するまでの間、J. A. シモンズとともに詩学教授へ立候補したことはあったが、「異教趣味」などとの非難もあり、ついに最後まで教授職につくことはなかった。 1865年の夏には、親友でありダンテ研究家であるC. L. シャドウェルを連れ立ってイタリア旅行へ出かけている。シェドウェルはペイター没後に遺著管理者となっているが、彼が訳した『神曲』煉獄篇に、ペイターは序文を寄せている。1866年、初の出版物となる「コールリッジ論」が、『ウェストミンスター評論』より匿名で出される。その後、姉のヘスターと妹のクララとともにオクスフォードに家を借りたペイターは、そこでバーン=ジョーンズやロセッティ、スウィンバーンらと交遊関係を結ぶこととなる。
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