フェルッチオ・ランボルギーニ (レーサー)とは? わかりやすく解説

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フェルッチオ・ランボルギーニ (レーサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 04:31 UTC 版)

フェルッチオ・ランボルギーニ ( Ferruccio Lamborghini, 1991年1月9日 - ) は、イタリアボローニャ出身のオートバイレーサー。自動車メーカー、ランボルギーニの創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニの孫にあたる[1]

経歴

1991年、ランボルギーニ創設者のフェルッチオ・ランボルギーニの長男、トニーノ・ランボルギーニの息子として生まれる。2003年にポケバイレースを始め、翌2004年にはイタリア国内のシリーズ、Assoluti d'Italiaを制した[2]

その後125ccのジュニアクラス等への参戦を経て、2007年にはイタリアロードレース選手権(CIV)125ccクラスに参戦を開始、シリーズ8位を記録した[3]。またロードレース世界選手権第13戦サンマリノGP125ccクラスのレースにワイルドカード枠で出場しグランプリデビューを果たした。さらにその後シーズン終盤の3戦にもスキルド・レーシングチームから出場の機会を得たが、いずれもノーポイントに終わった。

2008年もCIV125ccクラスに継続参戦し、シリーズ3位と成績を伸ばした[3]。またこの年のイタリアGPにもワイルドカード参戦したが、またもノーポイントに終わった。

2009年はCIVのスーパーストック600クラスに活動の場を移した。ヤマハ・YZF-R6を駆ったランボルギーニは全6戦中3勝を収め、シリーズランキング2位に入る活躍を見せた[4]

2010年は格上のスーパースポーツ600クラスに移り、シーズン2勝を挙げてシリーズランキング3位に入った[5]。またこの年のロードレース世界選手権第12戦サンマリノGPには、フォワード・レーシングからMoto2クラスにワイルドカード参戦し[6]、23位で完走した。第14戦日本GP以降終盤5戦[7]には、成績不振のルーカス・ペセックに代わりマッテオーニC.P.レーシングから参戦した[8]が、ノーポイントに終わった。

2011年シーズンはCIVで新たに始まるMoto2クラスに、フォワード・レーシングのジュニアチームから出場する[9]

ロードレース世界選手権 戦績

シーズン クラス チーム バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2007年 125cc ジュニアGPレーシング・チーム
スキルド・レーシング・チーム
アプリリア 4 0 0 0 0 0 -
2008年 125cc ジュニアGPレーシング・ドリーム アプリリア 1 0 0 0 0 0 -
2010年 Moto2 フォワード・レーシング
マッテオーニC.P.レーシング
スッター
モリワキ
5 0 0 0 0 0 -
合計 10 0 0 0 0 0

脚注

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