フアンクルーシエとは? わかりやすく解説

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フアン・クルーシエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 05:11 UTC 版)

フアン・クルーシエ
出生名 Juan Croucier
生誕 (1959-08-22) 1959年8月22日(64歳)
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州トーランス
学歴 トーランス高校
ジャンル ハードロック
職業 作曲家
作詞家
担当楽器 ベース
活動期間 1977年-現在
共同作業者 ラット
ドッケン
クワイエット・ライオット

フアン・クルーシエ(Juan Croucier、1959年8月22日-)はキューバ生まれのアメリカのミュージシャン。ハードロックバンド、ラットのベーシストとして知られる。

経歴

カリフォルニア州トーランスのトーランス高校に通い、さまざまなバンドで演奏した。バンドではオリジナル曲を演奏するようになり、16歳の時にスパイクというバンドに加入した。 1977年、ギターのロン・エイブラムス、ドラムのボビー・ブロッツァーと共にファイアーフォックスというバンドを結成した。1980年代にはラットクワイエット・ライオット、ダブロウ(ケヴィン・ダブロウがクワイエット・ライオット解散後に結成したバンド)に在籍した。ダブロウを脱退する前に、フランキー・バネリをダブロウに紹介した。バネリは後に再結成したクワイエット・ライオットに加入する。

クルーシエは後にドッケンに加入、約4年間在籍し、バンドと共にドイツ・ツアーを数回行った。ドッケンを脱退するまでの約1年半、ラットのメンバーとしても活動した。ドッケンのアルバム『ブレイキング・ザ・チェインズ』では2曲を共作した。後任のジェフ・ピルソンは、同アルバムのタイトル曲のビデオに出演している。

ラットでは、「Lack of Communication」や「You're in Love」など、バンドの大ヒット曲の多くを作曲した。彼のバック・ヴォーカルはラットのトレードマークとなった。

その後、ロサンゼルスでザ・セラーというレコーディング・スタジオを経営し、さまざまなバンドやソロ・アーティストのレコーディング、プロデュース、エンジニアリングを手がけた。

1997年に、同名のソロ・アルバムを基にしたプロジェクトとして、新しいバンド、リキッド・サンデーを結成した。このアルバムでボーカルを担当し、ベースとギターも弾いている。弟のリックもドラムで参加している。バンドは2006年夏にライヴを行った。その後、カルロス・カヴァーゾ、ジョン・メディナらと新バンド「ダーティ・ラッツ」を結成した。

2012年5月12日、ラットの再結成に参加。1991年以来のM3ロック・フェスティバルで演奏した。

ディスコグラフィー

ドッケン

  • Back in the Streets (1979)
  • Breaking the Chains (1981)
  • The Lost Songs: 1978–1981 (2020)

ラット

ソロ

  • Liquid Sunday (2001)

脚注

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