ピエール・ディアールとは? わかりやすく解説

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ピエール・ディアール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 18:31 UTC 版)

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ピエール=メダール・ディアール(Pierre-Médard Diard, 1794年3月19日 - 1863年2月16日)は、フランス博物学者であり探検家ジョルジュ・キュヴィエの弟子[1]

生涯

アンドル=エ=ロワールのシャトー=ルノーで生まれた。子供時代は、パリにしかなかったパブリックコースを利用できないため、同年代の仲間を集め、自然のさまざまな現象を研究して過ごした。地籍調査の仕事や公教育に従事したのち医学の道に進んだが、1813年4月3日政令により中断し第3連隊の名誉衛兵となる。数年後退役し、本来やりたかった道に進むためパリへと行き、医学教育の続きをジョルジュ・キュヴィエの下で受ける。そこでは勇気をもって障害を乗り越えたとされるように、天然痘で死んだホッテントット・ヴィーナスを解剖しジョルジュ・キュヴィエに認められる業績をあげることができた[2]

医学を学んだのは、子供の頃からの自然のさまざまな現象を研究するためであり、実績を上げたことで極東への道が開かれた。

1816年、21歳のとき世界一周へ向かおうと計画し、自然史博物館の特派員の称号を得ようとすると王の飼育していたゾウが死亡したとの知らせが舞い込み、急遽解剖のため旅行日程を延期せざるを得なくなる。

しかし、予定していた船は難破し乗員すべてが亡くなったことから、この延期は彼の命を救うことになった。

1817年8月20日にボルドーを出港し、1818年1月5日に無事カルカッタに到着する。

「動植物と深い関わりをもって活動する者」として、インドで再会した師であるジョルジュ・キュヴィエの継子アルフレッド・デュヴォセルとともに 東インド諸島で活動:

1817年12月に船でセーヌ川を下り、1818年5月にはカルカッタに着いた。数か月後にアルフレッド・デュヴォセルと出会ったのち、二人はシャンデルナゴルを拠点に家を借り、仮の博物館とした。そこでは室内で剥製や標本を保管する一方、庭では植物を植えると共に池では水鳥と魚を飼育した。数か月過ぎるとほぼ周辺で見つかる動植物すべての種類を集まり、1818年6月にはパリの自然史博物館に標本を送った。1818年12月にはトーマス・ラッフルズの誘いでスンダ列島などの探検を行い、ペナン、シンガポールなどを巡った。イギリス人との旅はあまり生産性がなかったが英語の勉強のためもあり続けた。アチェでは荷物が奪われるなどしたが、マラッカではクマやサルを始め珍しい鳥なども採取でき、1819年8月再びシンガポールへ戻った。そこでトーマス・ラッフルズとは契約上のトラブルが発覚し訣別した。その後二人は別々に探検を行うこととし、再会を期してディアールはバタヴィアへ、デュヴォセルはパダンへ旅立つ。

デュヴォセルと別れたのちは、インドシナに行き、アンナムを訪れ、アンコールワットを訪れた最初のヨーロッパ人の一人になった。1820年の終りに標本類の入ったいくつかの箱をパリ博物館に送ったのち、デュヴォセルのいるベンガルに行って再び彼との共同作業を再開することにしたが、乗船予定の船長の拒絶により再会を果たすことができなかった。マラヤを訪れ、バタビア(現在のジャカルタ)のオランダ東インド会社に加わり、1827年から1848年の間は東インド諸島で標本を集めた。テミンクは、ディアールがボルネオから送った標本が1828年にライデンに到着したと報告している。ジャワ島にブイテンゾルグ植物園(ボゴール植物園)を設立し、サトウキビの導入とカイコガの繁殖を主に担当した。

ダッチライオン勲章の騎士、アンドル・エ・ロワール農業協会名誉会員。 師であるジョルジュ・キュヴィエによりフランス語の動物名パンダ:PANDAにその名を残した。

業績

東インド会社の最高評議会のメンバーとの口約束のもと、デュヴォセルと共に東インド会社によって組織されたトーマス・ラッフルズが計画したスンダの島の探検に参加した。書面契約でなかったことなどで、二人がフランスへ標本類を送ったことや賃金の支払いなどでトラブルとなりトーマス・ラッフルズらとの契約は破棄となり、探検におけるコレクション、メモ、および図面の大半は東インド会社の所有となってイギリスに送られ、ラッフルズコレクションの一部となっている[3]。なお、残された手紙によると科学への貢献という目標は同じということで、ラッフルズとは和解したようなやり取りがみられる[4]

献名された動物

ジョルジュ・キュヴィエが献名したスンダウンピョウNeofelis diardiを含め多くの動物名に名を残している。

  • Harpactes diardii
  • Typhlops diardii
  • Hyllus diardi
  • Neofelis diardi

脚注

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  1. ^ Annales de la Société d'agriculture, sciences, arts et belles-lettres d'Indre-et-Loire 42. (1863). 
  2. ^ Cuvier, M. G.. “EXTRAIT D'OBSERVATIONS”. Mémoires du Muséum d'Histoire naturelle 3. 
  3. ^ Raffles' Ark Redrawn. British Library. (2009). 
  4. ^ The French in Singapore. Editions Didier Millet. (2012). 



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