ピエール・ジュリアンとは? わかりやすく解説

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ピエール・ジュリアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/28 01:30 UTC 版)

ピエール・ジュリアン
Pierre Julien
Paul Dujardinによる20世紀初めの肖像画
誕生日 (1731-06-21) 1731年6月21日
出生地 フランス、サン=ポーリアン(Saint-Paulien)
死没年 1804年12月17日(1804-12-17)(73歳没)
死没地 フランス、パリ
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ピエール・ジュリアン(Pierre Julien、1731年6月20日 - 1804年12月17日)は、フランスの彫刻家である。

略歴

現在のオート=ロワール県のサン=ポーリアン(Saint-Paulien)で大工の棟梁の息子に生まれた[1]。才能を見出されて、ル・ピュイ=アン=ヴレ出身の彫刻家Gabriel Samuelの弟子になり、その後、リヨンの美術学校で彫刻家のアントワーヌ=ミシェル・ペラーシュ(Antoine-Michel Perrache)に学んだ。1758年に美術学校で賞を得た後、ペラーシュとパリに出て、ペラーシュの推薦で、王立絵画彫刻アカデミーの教授ギヨーム・クストゥー(1716-1777)の工房に入った。1765年にローマ留学の資格が得られる、ローマ賞を受賞し1768年から1773年の間、在ローマ・フランス・アカデミーに留学した。ローマでは古代彫刻の縮小したサイズの複製も制作してフランスに送り[2]、新古典主義の彫刻家たちからも影響を宇うけた。

フランスに帰国した後、クストゥーの指揮下でサンスの聖堂英語版(Cathédrale Saint-Étienne de Sens)のフランス王太子ルイ・フェルディナンのモニュメントの制作に参加した。 1778年に王立絵画彫刻アカデミーに会員候補に選ばれ、レセプション作品として『瀕死の剣闘士』を提出し会員となった[3]

1780年代には王室建造物局総監のダンジヴィレ伯爵(Charles Claude Flahaut de La Billarderie, comte d’Angiviller)からの注文で、フランスの偉人たちの像を制作した。

フランス革命の後、1795年に再建されたフランス学士院の創設会員に選ばれ、1804年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。

作品

脚注

  1. ^ André Pascal, « Pierre Julien, sculpteur. Sa vie et son œuvre (1731-1804) », Mémoires et procès-verbaux de la Société agricole et scientifique de la Haute-Loire,‎ 1902, p. 389-560
  2. ^ Modern scholars identify this famous reclining figure as Ariadne Abandoned (Francis Haskell and Nicholas Penny, Taste and the Antique: The Lure of Classical Sculpture 1500-1900 (Yale University Press, 1981), cat. no. 24, pp 184-87).
  3. ^ Come tante opere del genere è conservata al Museo del Louvre.

参考文献

  • Collectif, Skulptur aus dem Louvre. Sculptures françaises néo-classiques. 1760 - 1830, catalogue d'exposition, Paris, musée du Louvre, 23 mai - 3 septembre 1990.
  • Michael Preston Worley, Pierre Julien : Sculptor to Queen Marie-Antoinette, iUniverse. Lincoln, NE, USA, 2003 (ISBN 0-595-29471-5).
  • André Pascal, « Pierre Julien, Sculpteur », Gazette des Beaux-arts, 1er semestre 1903, p. 325-342, 407-420.
  • Roger Gounot, De Vaneau à Julien : in Cahiers de la Haute-Loire 1967, Le Puy-en-Velay, Cahiers de la Haute-Loire, 1967
  • Julien, biographie ; suivi de son éloge funèbre prononcé en séance publique de l’Institut le 6 vendémiaire an 14 par Joachim Le Breton : in Tablettes historiques du Velay 1871-1872, Le Puy-en-Velay, Tablettes historiques du Velay, 1872



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