バヌア・アク党とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > バヌア・アク党の意味・解説 

バヌア・アク党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 14:58 UTC 版)

バヌアツ政党
バヌア・アク党
オーストロネシア語族:Vanua'aku Pati
党首 ジョー・ナトウマン
成立年月日 1970年
本部所在地 バヌアツ
バヌアツ議会
7 / 52   (13%)
(2025年1月16日)
政治的思想・立場 メラネシア社会主義
テンプレートを表示

バヌア・アク党(バヌア・アクとう、オーストロネシア語族: Vanua'aku Pati)とは、バヌアツの政党である。

概要

基本的に社会主義的な立場をとる政党である。

歴史

共同統治領ニューヘブリディーズにおいてウォルター・リニ英語版1970年代初頭に結党した。当初の党名はニューヘブリディーズ国民党英語版であった。
1974年に現在の党名に変更。1979年の選挙に勝利して政権を獲得、党首が首席大臣に就任する。
1980年共同統治領ニューヘブリディーズバヌアツ共和国として独立。独立に伴い首席大臣が首相に移行したため、独立以前からの政権与党であったバヌア・アク党の党首が首相となり、独立国の政権与党となった。
初代党首のウォルター・リニが首相として1980年から1991年まで首相を務め、後任の党首であるドナルド・カルポカス英語版も1991年内は首相であったため、11年間に渡ってバヌア・アク党はバヌアツ共和国の政権与党であり続けた。1991年の議会選挙で穏健政党連合英語版に敗北した為、政権を離れ下野する。1998年に政権与党に返り咲いた事を機に、それ以降は数年ごとに政権を獲得している。野党である期間は野党第一党であることが多い。

政策

創設者であり初代党首のウォルター・リニがメラネシア社会主義の提唱者であり、ウォルター・リニが党首である時代はメラネシア社会主義に基づく政策がとられた。
社会主義政権として冷戦の対立構造の中で東側諸国との友好関係を構築する。
1991年に党内の派閥争いにより党首・首相のウォルター・リニは離党、ドナルド・カルポカス英語版が党首・首相になるが、直後の選挙で下野し、さらに冷戦の終結とソビエト連邦の崩壊により後ろ盾も失ったことから政策を転換。1998年に政権を再度獲得して以降は民主社会主義政党として活動している。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バヌア・アク党」の関連用語

バヌア・アク党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バヌア・アク党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバヌア・アク党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS