ニコライ・アレクセーヴィチ・カサートキン
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ニコライ・アレクセーヴィチ・カサートキン
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Никола́й Алексе́евич Каса́ткин | |
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1890年頃のカサートキン
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生誕 | 1859年12月13日 ロシア、モスクワ |
死没 | 1930年12月17日 (71歳没) ロシア、モスクワ |
ニコライ・アレクセーヴィチ・カサートキン(ロシア語: Никола́й Алексе́евич Каса́ткин, ラテン文字転写: Nikolay Alekseyevich Kasatkin、1859年12月13日 - 1930年12月17日)は、ロシアの画家である。社会リアリズムの創始者の一人とされる。
略歴
モスクワで版画家の息子に生まれた[1]。1873年から1883年の間、モスクワ絵画・彫刻・建築学校でヴァシリー・ペロフとイラリオン・プリャニシニコフに学んだ[2]。美術学校を卒業した後、展覧会に出展して入賞した[1]。
1891年から「移動派」の展覧会に出展を始め、1894年から1917年の間はモスクワ絵画・彫刻・建築学校で教師を務めた。1883年から30年間、モスクワの出版社主のイワン・シティン(Ivan Sytin)に協力し、シティンの出版したカレンダーなどにイラストを提供した。1910年頃から農奴解放令発布50周年を記念して出版された百科事典「Великая реформа」や歴史に関する書籍に作品を提供した。
1903年に、帝国芸術アカデミーの会員に選ばれ、1900年のパリ万国博覧会に参加し、銀メダルを受章し[1]、1904年のセントルイス万国博覧会にも参加した。1905年からのロシア第一革命に影響を受けた一連の作品を制作した。
10月革命の後、モスクワ絵画・彫刻・建築学校は閉鎖され、国立自由美術工房(Svomas)に改組された。ロシア内戦後の1923年に最初の「共和国人民芸術家」に選ばれ、「ロシア革命芸術家協会」のメンバーに選ばれた[2]。
1924年には、イギリスに旅した。2年後、モスクワの「革命博物館」(現「ロシア国立現代史中央博物館」)のために肖像画を制作をした。社会主義リアリズムの先駆者の一人と考えられていて、「画家のゴーリキー」と呼ばれることもあった。
「革命博物館」での展示会中に急死した[2]。1956年と1971年に、ソ連によってカサートキンを記念する切手が発行された。
作品
脚注
- ^ a b c Brief biography @ Russian Painting.
- ^ a b c Brief biography @ RusArtNet.
参考文献
- Yakov Minchenkov, Касаткин Николай Алексеевич, "Memories of the Peredvizhniki" series, Litres, 2013
- Henrietta Serova, Николай Алексеевич Касаткин, "People's Art Library", Художник РСФСР, 1970
V.V. and E.A. Zhuravlyev, Николай Алексеевич Касаткин, народный художник: 1859-1930 (The People's Painter), Искусство, 1945
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