ドゥブロヴィツァ公国とは? わかりやすく解説

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ドゥブロヴィツァ公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 21:49 UTC 版)

T
P
D
S
SL
K
KI
V
トゥーロフとその分領公国

T:トゥーロフ公国 P:ピンスク公国
SL:スルツク公国 K:クレツク公国
D:ドゥブロヴィツァ公国 S:ステパニ公国
周辺の主な公国
KI:キエフ公国 V:ヴォルィーニ公国

ポイントは公国の首都の位置のみを示す。国境線は2014年現在。

ドゥブロヴィツァ公国ベラルーシ語: Дубровіцкае княстваウクライナ語: Дубровицьке князівство)はルーシの分領公国の一つである。公国は首都ドゥブロヴィツァとその周辺を領土としていた[1]

略史

ドゥブロヴィツァ公国は、トゥーロフ・ピンスク公ユーリー・ヤロスラヴィチ死後の1167年から1174年の間に、トゥーロフ・ピンスク公国領に形成された。ドゥブロヴィツァ公として存在が確定できるのは、公国形成初期のグレプ・ユーリエヴィチ(在位:1168年 - 1190年)、アレクサンドル・グレボヴィチ(在位:1190年 - 1223年)の2人の公である[2]

14世紀初めに、ドゥブロヴィツァ公国はリトアニア大公国に組み込まれた[3]。14世紀にはオストログスキ家の領地の一部となっていた[4]

出典

関連項目




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