トミスラフ・マリッチとは? わかりやすく解説

トミスラフ・マリッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 13:33 UTC 版)

トミスラフ・マリッチ
名前
本名 トミスラヴ・マリッチ
愛称 トミー、サムライ
ラテン文字 Tomislav Maric
基本情報
国籍 クロアチア
ドイツ
生年月日 (1973-01-28) 1973年1月28日(51歳)
出身地 ドイツハイルブロン
身長 181cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
タールハイム
ESVハイルブロン
VfRハイルブロン
1992-1994 ルードヴィッヒスブルク
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995 カールスルーエ 4 (0)
1995-1996 ヴァッテンシャイト 6 (2)
1996-2000 シュトゥットガルトKs 94 (36)
2000-2003 ヴォルフスブルク 74 (30)
2003-2004 ボルシアMG 7 (1)
2004-2005 ヴォルフスブルク 11 (1)
2005 浦和レッズ 13 (8)
2006-2008 ホッフェンハイム 47 (17)
通算 256 (95)
代表歴
2002-2003 クロアチア 9 (2)
監督歴
2007-2010 ホッフェンハイム(コーチ)
2013-2014 シュトゥットガルト(コーチ)
2015-2016 ドゥナイカー・ストレダ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トミスラヴ・マリッチTomislav Marić1973年1月28日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手、指導者。元クロアチア代表。現役時代のポジションはフォワード

来歴

出身地はドイツだが、両親ともクロアチア人クロアチア国籍も持つ。弟のマリオもクロアチア代表経験を持つサッカー選手。シュトゥットガルト・キッカーズ(当時2部)に所属していた1999-00シーズンには21得点を挙げて2部リーグ得点王に輝いた。更にこのシーズンのDFBポカールにて、キッカーズはボルシア・ドルトムントSCフライブルク等、ブンデスリーガに所属する格上のクラブを次々に破り、準決勝まで進出する。マリッチは準々決勝フライブルク戦での決勝点を含む4得点の活躍で、この快進撃に大きく貢献した[1]。翌2000-01シーズンにはブンデスリーガVfLヴォルフスブルクへ移籍。2002年にはクロアチア代表に選出され、同年5月8日のハンガリー戦で代表デビューを飾った。

2005年、退団したエメルソンの代役としてロブソン・ポンテと共に浦和レッドダイヤモンズへ入団した。2004年にも、浦和レッズのテストを受けたが不合格、早急に代役が必要なため、2004年にテストを受けたこともあるマリッチに白羽の矢が立った。Jリーグ初ゴールは、2005年8月27日名古屋グランパスエイト[2]瑞穂)。第85回天皇杯では準決勝の大宮アルディージャ戦、決勝の清水エスパルス戦での決勝ゴールなど5試合連続6得点の活躍で、浦和の25年ぶりの天皇杯優勝に貢献。その活躍の様子はクロアチアでも報道された[3]

2006年1月2日に浦和との契約が満了し退団。わずか半年の在籍であったが、13試合8ゴール[2]、また天皇杯のタイトルをもたらした立役者であり、サポーターからも愛された。天皇杯決勝でのセレモニー終了後、国立競技場に残った多数のサポーターによるカーテンコールに見送られ、涙を見せた[4]。翌日1月2日には早朝にもかかわらず数百名のサポーターが帰国前のマリッチを一目見ようと練習場に駆けつけ、別れを惜しんだ[5]

その後、2005-06年シーズン当時レギオナルリーガ(3部相当)のTSG1899ホッフェンハイムに移籍。2部昇格に貢献した。またW杯ドイツ大会期間中、浦和はドイツ遠征を行ったが、その際にホッフェンハイムとの親善試合が行われた。

2007年夏、チームの2部昇格を区切りとし、ホッフェンハイムのコーチに就任。指導者への道を選んだ。2010年4月にはサッカードイツ協会のS級ライセンスを取得[6]。同年7月30日、ホッフェンハイムとの契約を終えた[7]

2015年1月、スロバキア1部リーグのドゥナイスカー・ストレダの監督に就任した。 [8]

個人成績

以下の成績はキッカー[9]ビルト紙(transfermarkt)[10]、Jリーグ[11]の出場記録による。
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1994-95 カールスルーエ 1部 4 0 - 0 0 4 0
1995-96 ヴァッテンシャイト 2部 6 2 - 0 0 6 2
1996-97 シュトゥットガルトKS 14 2 0 - 0 0 2 0
1997-98 33 7 - 2 1 35 8
1998-99 26 8 - 0 0 26 8
1999-00 33 21 - 6 4 39 25
2000-01 ヴォルフスブルク 11 1部 30 6 - 3 0 33 6
2001-02 17 12 - 3 1 20 13
2002-03 27 12 - 2 0 29 12
2003-04 ボルシアMG 30 7 1 - 2 1 9 2
2004-05 ヴォルフスブルク 11 11 1 - 0 0 11 1
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2005 浦和 18 J1 13 8 3 0 5 6 21 14
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2005-06 ホッフェンハイム 9 3部 15 9 - 0 0 15 9
2006-07 32 8 - 0 0 32 8
2007-08 2部 0 0 - 0 0 0 0
通算 ドイツ 243 87 - 18 7 261 94
日本 13 8 3 0 5 6 21 14
総通算 256 95 3 0 23 13 282 108

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 9試合 2得点(2002年-2003年)[12]


クロアチア代表 国際Aマッチ
出場 得点
2002 4 1
2003 5 1
通算 9 2

タイトル

選手時代

浦和レッドダイヤモンズ
個人

脚注

関連項目

外部リンク





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