トビーンとは? わかりやすく解説

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トビーン

名前 Toibin; Toíbín; Tóibín

トビーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 19:44 UTC 版)

トビーン
Tobeen
トビーン作『バスク・ペロタ(球技)』(1912)
誕生日 1880年7月20日
出生地 フランス, ボルドー
死没年 1938年3月14日
死没地 フランス, サン=ヴァレリー=シュル=ソンム
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トビーンことフェリクス・ボネ(Tobeen、本名: Félix Bonnet、1880年7月20日 - 1938年3月14日)はフランスの画家である。1910年代のパリで、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックらの画家と活動した。

略歴

フランス南西部のボルドーで生まれた。父親は装飾画家であったという。ボルドーからはオディロン・ルドン (1840-1916) やアルベール・マルケ (1875-1947) といった前衛的な画家が出ている。父親や別のボルドー出身の画家、エミール・ブルネ (Emile Brunet) から絵を学んだ。しばしばバスク地方に滞在したことでも知られる[1]。姓の「Bonnet」のアナグラムの「Tobeen」という名前で活動した、

1910年にパリに移り、ピカソやブラックといったキュビスムの画家と交流し、ジャック・ヴィヨンレイモン・デュシャン=ヴィヨンマルセル・デュシャンの兄弟たちのキュビスムを志向した美術家のグループ、「ピュトー・グループ」の画家と交流し、1912年のセクション・ドール展には11点の作品を出展した[2]

第一次世界大戦が始まると、軍務につくが、負傷して、治療を受けた後、退役した。1916年にパリで結婚した。1917年にパリで個展を開いた。1920年から夏はフランス北部の港町、サン=ヴァレリー=シュル=ソンムで過ごすようになり、1924年からそこに定住し、絵のスタイルは写実的なものに変化した。1927年にオランダで個展を開き、オランダの画商が作品を扱うようになり、トビーンの作品はオランダの美術館に多く残されることになった。晩年は画家として注目されることは無くなった。1938年にサン=ヴァレリー=シュル=ソンムで死去した。1960年代に入って他のキュビスムの画家たちとともに再評価された。

作品

出展した展覧会

参考文献

  • Tobeen, un moderne chez les Basques, biography by Goikoetxea Jean Paul, ed. Pimientos, 2012.

出典



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