トゥルミシュとは? わかりやすく解説

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トゥルミシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/25 00:34 UTC 版)

トゥルミシュ(Turmiš、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えたウイグル人将軍の一人。『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝などの漢文史料における漢字表記は都爾弥勢(dōuěrmíshì)。


  1. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「十子。長曰益弥勢普華、次曰都督弥勢普華、曰懐朱普華、曰都爾弥勢、曰八撒普華、曰旭烈普華、曰各尚、曰合剌普華、曰独可理普華、曰脱烈普華」
  2. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「都爾弥勢、初従撒吉思討李璮、以功奏為行省郎中、継除博興沂州監都」
  3. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「会丞相伯顔督諸軍取宋、慨然曰『吾世受上恩、此立功報国之秋也。吾其従戎乎』。撒吉思嘉其忠、謁丞相挙以自代。乃与従子撒里蛮倶隷丞相麾下、与攻襄樊、進兵陽邏堡、順流至丁家洲。宋相賈似道出視師迎戦奔潰、都爾弥勢為前鋒、引大軍乗勢逐北。与宋殿帥孫虎臣戦于焦山、破之。陞蔣安撫翼監戦、復攻常州、得擢陞断事官」
  4. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「江南既平、擢安豊路逹魯花赤、行省以其廉能署処州路逹魯花赤。時新附之民懐携阻兵、毎単騎招降、兵不血刃。人以四哥仏子称之。後見平章阿合馬窃柄張甚恥為詭随居閑養晦」
  5. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「五年、日本之役以為征東都元帥、又与丞相阿塔海・李牢山等異議、辞行巳而。阿塔海等果敗」
  6. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「運使盧懋以言利擢中書右丞、欲引為参知政事、知懋不可与共事亦辞不拝、後懋果以罪誅」
  7. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「遷同知浙東宣慰使司事。東陽賊楊震龍作乱、郷民或為賊応卒討平之。朝廷以江浙財計至重、命為行省郎中、及桑葛当国屡欲援為助固謝不就。遷太平路逹魯花赤、同時平南大臣如丞相蒙古台・高興・国公史弼・河南王卜隆吉台皆以兄礼事之」
  8. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「一時善辞命、都爾弥勢与阿里斉名行省几有入奏必命之。往毎至上前開陳、是非得失披析解駮如指諸掌。上嘉賞曰、惟卿及阿里言事能称。朕意爾阿里後秉鈞衡、而都爾弥勢官止広西憲使、卒」
  9. ^ B.Ögel 1964 p.152


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