デビッド・テイラー_(アメリカンフットボール)とは? わかりやすく解説

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デビッド・テイラー (アメリカンフットボール)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/26 02:06 UTC 版)

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 デビッド・テイラー
David Taylor
基本情報
ポジション ガード、タックル
生年月日 (1949-10-17) 1949年10月17日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州ステイツビル
身長 6' 4" =約193cm
体重 260 lb =約117.9kg
経歴
大学 カタウバ大学
NFLドラフト 1973年 / 5巡目全体114位
初出場年 1973年
初出場チーム ボルチモア・コルツ
所属歴
ボルチモア・コルツ(1973年-1979年)
NFL 通算成績
出場試合数 72試合
Player stats at NFL.com

デビッド・テイラー(David Merritt Taylor 1949年10月17日- )はノースカロライナ州ステイツビル出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはオフェンシブタックル。

経歴

チャペルヒル高校時代はアメリカンフットボールと投擲競技をしていた[1]ノースカロライナ大学クレムゾン大学などからも注目されていたが高校3年の時に足首を負傷したためカタウバ大学以外からはリクルーティングされず同大学に進学しアメリカンフットボールではオフェンシブタックルとパンターを務めて、砲丸投も行った[1]。大学3年の時にひざを痛めて医師より2度とアメリカンフットボールはできなくなると言われたが翌シーズン怪我から回復してNAIAのファーストチームに選ばれた[1]

1973年NFLドラフト5巡目でボルチモア・コルツに指名されて入団した。彼が入団した当時のコルツはジョニー・ユナイタスやジョン・マッキーらによる全盛期が過ぎチームの再建期にあたり同じ年のドラフト4巡ではルイジアナ州立大学のQBバート・ジョーンズが指名されていた[1]1974年からQBのブラインドサイドを守るキーマンである先発レフトタックルとして先発出場するようになった[1]。彼が入団してから2年間はチームは低迷したがハワード・シュネレンバーガーからテッド・マーチブローダにヘッドコーチが交代した1975年から1977年までの3年間でチームは31勝11敗の好成績をあげた。テイラーのパスプロテクションで十分な時間をもらったジョーンズはダウンフィールドのロジャー・カー、グレン・ドーティー、オープンになったライデル・ミッチェル、ルーズベルト・リークス、ドン・マカウリーらにパスを通し続けた[1]。怪我のため1978年シーズンを棒に振るった彼は1979年復帰したがその年で現役を引退した[1]

当時NFLを代表するディフェンスラインマンであったピッツバーグ・スティーラーズのミーン・ジョー・グリーンをノックアウトしたこともある[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Catawba Football: Taylor went from small school to big-time NFL”. カタウバ大学 (2006年11月9日). 2010年2月11日閲覧。

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