テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータの意味・解説 

テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 17:34 UTC 版)

テレジア・クリスティアーネ
Theresia Christiane
ザクセン=コーブルク=コハーリ家

全名
出生 (1902-08-23) 1902年8月23日
オーストリア=ハンガリー帝国ヴァルタースキルヒェン城ドイツ語版
死去 (1990-01-24) 1990年1月24日(87歳没)
 オーストリアフィラッハ
配偶者 ラモラル・フォン・タクシス=ボルドーニャ=ヴァルニグラ
子女
父親 アウグスト・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
母親 カロリーネ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータTheresia Christiane Prinzessin von Sachsen-Coburg und Gotha, 1902年8月23日 - 1990年1月24日)は、ザクセン=コーブルク公爵家のカトリック系分家コハーリ侯爵家の公女。

生涯

ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグスト・レオポルトとその妻のオーストリア=トスカーナ大公女カロリーネの間の第6子、三女として生まれた[1]。正式な洗礼名はテレジア・クリスティアーネ・マリア・ヨーゼファ・イグナティア・ベニーツィア・ミヒャエラ・ガブリエーレ・ラファエーレ・ゴンツァーガ(Theresia Christiane Maria Josepha Ignatia Benizia Michaela Gabriele Raphaele Gonzaga)で、曾祖母のブラジル皇后テレーザ・クリスティーナにあやかって名付けられている[1]

テレジアはブラジル皇帝ペドロ2世の次女レオポルディナの11人の孫たちの中で、唯一ブラジル国籍を保持し、旧ブラジル帝位請求権を放棄しなかった[2]。女性ながら、一時はブラジル帝位請求者として活動した父の後継者となった。彼女の子孫は旧ブラジル帝室の一分家サクセ=コブルゴ・イ・ブラガンサ家ポルトガル語版を成していると見なされ[注釈 1]、レオポルディナ皇女の姉イザベル皇女の子孫のうちの有資格者に次ぐ帝位継承権を主張している。

1930年10月6日にザルツブルクで、ラモラル・フォン・タクシス=ボルドーニャ=ヴァルニグラ男爵(1900年 - 1966年)と結婚し、間に4人の子女をもうけた。子供たちは「タッソ・デ・サクセ=コブルゴ・イ・ブラガンサ(Tasso de Saxe-Coburgo e Bragança)」というポルトガル語の複合姓を名乗った。

  • カルルシュ(1931年 - ) - 1956年デニース・パイシュ・デ・アウメイダと結婚(1967年離婚)、1969年オーストリア=トスカーナ大公女ヴァルブルガ[注釈 2]と再婚
  • アリーチェ(1936年 - 2013年) - 1956年トルミーノ=ビーリア伯爵ミケーレ=フォルメンティーニと結婚
  • フィリペ(1939年 - ) - 1981年アンナ・マリア・ドゥアルテ・ヌーネスと結婚
  • マリア・クリスティーナ(1945年 - ) - 1971年ライモンド・デットーリと結婚

1973年、長男カルロスがイタリアフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ファガーニャにあるヴィラルタ城を購入し、一族の本拠は同城となった。

1990年1月24日、オーストリアフィラッハで亡くなった。

引用・脚注

引用

  1. ^ a b Genealogisches Handbuch des Adels, Fürstliche Häuser IV. "Sachsen". C.A. Starke Verlag, 1956, pp. 162-163. (German)..
  2. ^ (ポルトガル語) Lessa, Clado Ribeiro de. "O Segundo Ramo da Casa Imperial e a nossa Marinha de Guerra", in Revista do Instituto Historico e Geografico Brasileiro, vol. 211, 1951, pp. 118-133 (ISSN 0101-4366)

注釈

  1. ^ ポルトガル王フェルナンド2世の子孫ブラガンサ=コブルゴ家との混同に注意する必要がある。
  2. ^ トスカーナ大公家家長ペーター・フェルディナントの次男ゲオルクチェコ語版(1905年 - 1952年)の次女。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータに関するカテゴリがあります。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



テレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのテレジア・クリスティアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS