チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)の意味・解説 

チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/19 01:31 UTC 版)

トマス・ハドソンによる肖像画、1750年以降。

第3代クイーンズベリー公爵および第2代ドーヴァー公爵チャールズ・ダグラス英語: Charles Douglas, 3rd Duke of Queensberry, 2nd Duke of Dover PC FRS1698年11月24日1778年10月22日[1])は、スコットランド貴族、地主。スコットランド王璽尚書英語版スコットランド民事控訴院首席判事英語版などを歴任した。

生涯

第2代クイーンズベリー公爵ジェームズ・ダグラスとメアリー・ボイル(第3代ダンガーヴァン子爵チャールズ・ボイルの娘)の三男として、1698年11月24日にエディンバラで生まれた[2]。1706年6月17日、ソルウェイ伯爵、ティベリス子爵、ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿に叙された[2]。1711年7月に父が死去すると、兄ジェームズが精神疾患によりクイーンズベリー公爵の継承者から除外されクイーンズベリー侯爵しか継承できなかったため、チャールズ・ダグラスはクイーンズベリー公爵の爵位を継承した[3]。その後、貴族院議員になろうとしたが、貴族院がクイーンズベリー公爵に議会招集令状を受ける権利がないとの裁定を下した[2]。結局、クイーンズベリー公爵は1711年から1718年まで大陸ヨーロッパを旅行した[4]。また1715年には兄ジェームズが死去したためクイーンズベリー侯爵を継承した。1714年10月8日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1720年7月6日にDCL英語版の学位を得た[5]

1721年にダンフリーズシャーとカークーブリーシャー英語版知事を、1720年から1727年までジョージ1世寝室侍従英語版を、1722年から1729年まで=スコットランドのヴァイス・アドミラル務め、1722年11月8日に王立協会フェローに選出され、1726年に枢密顧問官に任命された[4]

1728年、クイーンズベリー公爵夫人の友人だったジョン・ゲイ[6]が『ポリー英語版』の上演を拒否されたとき、クイーンズベリー公爵はゲイを支持したため、全ての役職を解任された[2]。以降は王太子フレデリック・ルイスを支持するようになり[2]、1733年から1751年にはフレデリック・ルイスの寝室侍従英語版を務めた[4]。1760年にフレデリック・ルイスの息子がジョージ3世として即位すると枢密顧問官に復帰、スコットランド王璽尚書英語版(在任:1761年 – 1763年)、スコットランド民事控訴院首席判事英語版(在任:1763年 – 1778年)を務めた[2]

1778年、ロンドンに向かう最中、馬車から降りるときに事故を起こし、そのときの怪我がもとで死去した[2]。継承者となる存命中の子供がいなかったため、ドーヴァー公爵とソルウェイ伯爵の爵位は断絶、クイーンズベリー公爵は第3代マーチ伯爵ウィリアム・ダグラス(第2代クイーンズベリー公爵の弟の孫)が継承した[6]。死後、ダリスディア英語版で埋葬された[4]

家族

1720年3月10日、第4代クラレンドン伯爵ヘンリー・ハイドの娘キャサリン英語版(1777年7月17日没)と結婚、2男をもうけた[2]

  • ヘンリー英語版(1722年 – 1754年10月19日) - 軍人、1754年に事故死
  • チャールズ(1726年7月17日 – 1756年10月24日) - 庶民院議員、生涯未婚[7]

脚注

  1. ^ Sancho, Ignatius; Jekyll, Joseph (1782) (英語). Letters of the Late Ignatius Sancho, an African ...: To which are Prefixed, Memoirs of His Life .... J. Nichols. https://books.google.co.uk/books/about/Letters_of_the_Late_Ignatius_Sancho_an_A.html?id=PFM4AAAAMAAJ&printsec=frontcover&source=kp_read_button&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 
  2. ^ a b c d e f g h Vian, Alsager Richard (1888). "Douglas, Charles" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. pp. 288–289.
  3. ^ The genealogy of the existing British peerage: with sketches of the family, Edmund Lodge
  4. ^ a b c d "Douglas; Charles (1698 - 1778); 3rd Duke of Queensberry and 2nd Duke of Dover". Record (英語). The Royal Society. 2019年5月4日閲覧
  5. ^ Foster, Joseph, ed (1891). Disbrowe-Dyve. Oxford: University of Oxford. pp. 406–439. https://www.british-history.ac.uk/alumni-oxon/1500-1714/pp406-439 
  6. ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Queensberry, Earls, Marquesses and Dukes of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 731.
  7. ^ Haden-Guest, Edith, Lady (1964). "DOUGLAS, Lord Charles (1726-56), of Kellwood, Dumfries.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年7月20日閲覧

外部リンク

公職
先代
ロシズ伯爵
スコットランド海軍卿
1722年 – 1729年
次代
ステア伯爵
先代
アーガイル公爵英語版
スコットランド王璽尚書英語版
1761年 – 1763年
次代
アソル公爵
司法職
先代
ツィードデール侯爵
スコットランド民事控訴院首席判事英語版
1763年 – 1778年
次代
マンスフィールド伯爵
グレートブリテンの爵位
先代
ジェイムズ・ダグラス
ドーヴァー公爵
1711年 – 1778年
断絶
スコットランドの爵位
新設 ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿
1706年 – 1778年
断絶
ティベリス子爵
1706年 – 1778年
ソルウェイ伯爵
1706年 – 1778年
先代
ジェイムズ・ダグラス
クイーンズベリー公爵
1711年 – 1778年
次代
ウィリアム・ダグラス
先代
ジェームズ・ダグラス
クイーンズベリー侯爵
1715年 – 1778年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)」の関連用語

チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS