スタニスワフ・ヴィエホヴィツとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > スタニスワフ・ヴィエホヴィツの意味・解説 

スタニスワフ・ヴィエホヴィツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/10 15:39 UTC 版)

スタニスワフ・ヴィエホヴィツ(1893年-1963年)

スタニスワフ・ヴィエホヴィツ[1]Stanisław Wiechowicz、ポーランド語: [staˈɲiswaf vjɛˈxɔvit͡ʂ]、1893年11月27日 - 1963年5月12日)は、ポーランドの作曲家、音楽指揮者、音楽教育者、音楽評論家。

略歴

スタニスワフ・ヴィエホヴィツは、ポーランドのキェルツェ近郊にあるクロシツェで生まれた。クラクフの音楽院でオルガンを学び、ドレスデン近郊のヤックス・ダルクローゼ研究所で作曲を学んだ。サンクトペテルブルク音楽院で勉強を続けたが、兵役のために教育は中断された。復員後は、1921年から1939年までポズナンで音楽教師および合唱指揮者として働いた。1926年から1927年までの間は、パリのスコラ・カントルムで音楽の勉強を続けた。1920年から1926年までと1930年から1939年まで、彼はポズナンの音楽院にて教授を務めた。1945年以降、ヴィエホヴィツはクラクフの国立高等音楽学校(現在の音楽アカデミー)で作曲委員長を務めている。ヴィエホヴィツは音声教育学に関する多くの著作を執筆し、『Przegląd Muzyczny』や『Muzyka Polska』などの出版物に寄稿した[2]。多くの作曲賞を受賞しており、1952年にはポーランド共和国功労勲章を授与された[3]。彼の作品は、1948年の夏季オリンピックの美術コンクールにおける音楽イベントの一部にもなっている[4]

ヴィエホヴィツはヴァレンティーナ・サポシュニコフと結婚し、第二次世界大戦中は弁護士として働いた。1963年にクラクフで亡くなった。

作品

ヴィエホヴィツは合唱音楽の著名な作曲家であり、よくポーランドの民族音楽からインスピレーションを得ることがあった。主な作品は次の通り。

  • Babie lato (1922年)
  • Chmiel na orkiestrę (1927年)
  • Pastorałki (1927年)
  • Dzień słowiański (1929年)
  • Kantata romantyczna (1930年)
  • Ulęgałki (1944年)
  • Kasia (1946年)
  • Na glinianym wazoniku (1947年)
  • Kantata żniwna (1948年)
  • Kantata mickiewiczowska (1950年)
  • Koncert staromiejski (1954年)
  • Passacaglia i fuga (1960年)
  • List do Marc Chagalla (1961年)

脚注

  1. ^ スタニスラフ・ヴィエホヴィツ」の表記もある。
  2. ^ Margaret Kosińska, Margaret, Stanislaw Wiechowicz, http://www.culture.pl/baza-muzyka-pelna-tresc/-/eo_event_asset_publisher/eAN5/content/stanislaw-wiechowicz 2013年1月19日閲覧。 
  3. ^ M.P. 1952 nr 70 poz. 1078, http://isap.sejm.gov.pl/DetailsServlet?id=WMP19520701078 2013年1月19日閲覧。 
  4. ^ Stanisław Wiechowicz”. Olympedia. 2020年8月21日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  スタニスワフ・ヴィエホヴィツのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

スタニスワフ・ヴィエホヴィツのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スタニスワフ・ヴィエホヴィツのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスタニスワフ・ヴィエホヴィツ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS