ジョン・ホランド_(初代エクセター公)とは? わかりやすく解説

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ジョン・ホランド (初代エクセター公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 08:49 UTC 版)

ジョン・ホランド
初代エクセター公
初代エクセター公ジョンの紋章
在位 1397年 - 1399年

出生 1352年
死去 1400年1月16日
配偶者 エリザベス・オブ・ランカスター
子女 一覧参照
家名 ホランド家
父親 初代ケント伯トマス・ホランド
母親 ジョーン・オブ・ケント
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初代エクセター公・初代ハンティンドン伯ジョン・ホランド(Thomas Holland, 1st Duke of Surrey, 1st Earl of Huntingdon, KG, 1352年頃 - 1400年1月16日)は、イングランドの貴族。父は初代ケント伯トマス・ホランド、母はジョーン・オブ・ケントで、第2代ケント伯トマス・ホランドは兄、イングランド王リチャード2世は異父弟に当たる。

生涯

兄と共にリチャード2世に重用され、1397年にエクセター公位を授けられた(甥の第3代ケント伯トマス・ホランドもサリー公位を叙爵)。ところが、1399年にクーデターでリチャード2世が廃位されるとヘンリー4世から爵位を取り上げられ元のハンティンドン伯に降格された[1][2]

ハンティンドン伯はリチャード2世の復権を図りケント伯およびソールズベリー伯ジョン・モンタキュート、元グロスター伯トマス・ル・ディスペンサーと組んで1400年1月の公現祭のヘンリー4世暗殺を計画したが、失敗して捕らえられ処刑された[1][3]。ケント伯も処刑されたが、息子ジョンは後にエクセター公位を与えられ復権を果たした[4]

子女

1386年にランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘(ヘンリー4世の姉)エリザベスと結婚、3男3女を儲けた。

  • リチャード(? - 1400年)
  • コンスタンス(1387年 - 1437年) - ノーフォーク伯トマス・モウブレーと結婚、サー・ジョン・グレイと再婚
  • エリザベス(1389年頃 - 1449年) - サー・ロバート・ファインズと結婚
  • アリス(1392年頃 - 1406年頃) - 第11代オックスフォード伯リチャード・ド・ヴィアーと結婚
  • ジョン(1395年 - 1447年)
  • エドワード(1399年頃 - 1413年以後)

脚注

  1. ^ a b 青山、P406。
  2. ^ ロイル、P75 - P76、P424。
  3. ^ 森、P186 - P187、ロイル、P83、P91。
  4. ^ ロイル、P413。

参考文献

公職
先代
アイルランド公
大侍従卿
1389年 - 1399年?
次代
オックスフォード伯英語版
司法職
先代
空位
チェスター裁判官英語版
1381年 - 1385年
次代
ヨーク公
先代
グロスター公
チェスター裁判官
1391年 - 1394年
次代
ノッティンガム伯
爵位・家督
先代
新設
ハンティンドン伯
1387年 - 1400年
次代
ジョン・ホランド
エクセター公
1397年 - 1399年



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