ジョン・ホランド (初代エクセター公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 09:42 UTC 版)
| ジョン・ホランド John Holland  | 
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| 初代エクセター公 | |
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       初代エクセター公ジョンの紋章
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| 在位 | 1397年 - 1399年 | 
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| 出生 |  1352年頃 | 
    
| 死去 |  1400年1月16日 | 
    
| 配偶者 | エリザベス・オブ・ランカスター | 
| 子女 | 一覧参照 | 
| 家名 | ホランド家 | 
| 父親 | 初代ケント伯トマス・ホランド | 
| 母親 | ジョーン・オブ・ケント | 
初代エクセター公・初代ハンティンドン伯ジョン・ホランド(John Holland, 1st Duke of Surrey, 1st Earl of Huntingdon, KG, 1352年頃 - 1400年1月16日)は、イングランドの貴族。父は初代ケント伯トマス・ホランド、母はジョーン・オブ・ケントで、第2代ケント伯トマス・ホランドは兄、イングランド王リチャード2世は異父弟に当たる。
生涯
兄と共にリチャード2世に重用され、1397年にエクセター公位を授けられた(甥の第3代ケント伯トマス・ホランドもサリー公位を叙爵)。ところが、1399年にクーデターでリチャード2世が廃位されるとヘンリー4世から爵位を取り上げられ元のハンティンドン伯に降格された[1][2]。
ハンティンドン伯はリチャード2世の復権を図りケント伯およびソールズベリー伯ジョン・モンタギュー、元グロスター伯トマス・ル・ディスペンサーと組んで1400年1月の公現祭のヘンリー4世暗殺を計画したが、失敗して捕らえられ処刑された(エピファニー蜂起)[1][3]。ケント伯も処刑されたが、息子ジョンは後にエクセター公位を与えられ復権を果たした[4]。
子女
1386年にランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘(ヘンリー4世の姉)エリザベスと結婚、3男3女を儲けた。
- リチャード(? - 1400年)
 - コンスタンス(1387年 - 1437年) - ノーフォーク伯トマス・モウブレーと結婚、サー・ジョン・グレイと再婚
 - エリザベス(1389年頃 - 1449年) - サー・ロバート・ファインズと結婚
 - アリス(1392年頃 - 1406年頃) - 第11代オックスフォード伯リチャード・ド・ヴィアーと結婚
 - ジョン(1395年 - 1447年)
 - エドワード(1399年頃 - 1413年以後)
 
脚注
参考文献
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 アイルランド公  |  
     大侍従卿 1389年 - 1399年?  |  
     次代 オックスフォード伯  | 
    
| 司法職 | ||
| 先代 空位  |  
     チェスター裁判官 1381年 - 1385年  |  
     次代 ヨーク公  | 
    
| 先代 グロスター公  |  
     チェスター裁判官 1391年 - 1394年  |  
     次代 ノッティンガム伯  | 
    
| 爵位・家督 | ||
| 先代 新設  |  
     ハンティンドン伯 1387年 - 1400年  |  
     次代 ジョン・ホランド  | 
    
| エクセター公 1397年 - 1399年  | 
    ||
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