ジョルジュ・ロシュグロス
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ジョルジュ・ロシュグロス
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Georges Rochegrosse | |
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自画像(c.1885)
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生誕 | 1859年8月2日![]() |
死没 | 1938年7月11日 アルジェリア,エル・ビアール(El Biar) |
運動・動向 | オリエンタリズム |
ジョルジュ・ロシュグロス(Georges-Antoine Rochegrosse、1859年8月2日 - 1938年7月11日)はフランスの画家である。最初は歴史画を描いたが、後には「オリエンタリズム」の画家として、中東趣味の女性を多く描いた。オペラのポスターなどの原画も描いた。
略歴
ヴェルサイユで生まれた。パリのアカデミー・ジュリアンでジュール・ジョゼフ・ルフェーブルやギュスターヴ・ブーランジェに学んだ。典型的な「アカデミック絵画」の画家として出発し、歴史画を描いた。1882年のサロン・ド・パリにデビューし、翌年、ギリシア神話の女性、アンドロマケーを描いた作品で金賞を受賞した。1889年のパリ万国博覧会に出展し入選した。1892年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した。)
修行のため、イタリア、ドイツ、ベルギー、オランダを旅し、1894年にアルジェリアを旅した後、「オリエンタリズム」への嗜好が高まった。アルジェリアで看護師で工芸家のマリー・レブロン(Marie Leblon: 1852-1920)と知り合い、1896年に結婚した。1900年から妻のマリー・ロシュグロスとアルジェ郊外のエル・ビアール(El Biar)に住み夏はパリですごした。
ポスターの原画や書籍の挿絵も描いた。
1910年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。1920年に妻が亡くなった後は、自分の名前にマリーの名前を追加し、ジョルジュ・マリー・ロシュグロスの名前で 作品に署名した[1]。
1938年にエル・ビアールで亡くなった。
作品
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民衆に連行されるルキウス・ウィテッリウス
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シャルパンティエのオペラのポスター
参考文献
- Stephen Farthing: 1001 Schilderijen die je gezien moet hebben. Librero, 2012. ISBN 978-90-8998-209-4
- Céline Doutriaux, Georges Rochegrosse (1859-1938) ou la violence exacerbée : un exemple de peinture historico-sadique fin de siècle, Villeneuve d'Ascq : Dactylogramme, 2002.
- ^ Société d'émulation du Bourbonnais, Bulletin de la Société d'émulation du Bourbonnais: lettres, sciences et arts, t. 28, Moulin, 1925, 432 p
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