ジョルジュ・アウベルト・メンドンサ・パウリーノとは? わかりやすく解説

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ジョルジュ・アウベルト・メンドンサ・パウリーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:37 UTC 版)

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はメンドンサ、第二姓(父方の姓)はパウリーノです。
ジョルジュ・メンドンサ
名前
本名 ジョルジュ・アウベルト・メンドンサ・パウリーノ
Jorge Alberto Mendonça Paulino
ラテン文字 Jorge Mendonça
基本情報
国籍 アンゴラ
ポルトガル
スペイン
生年月日 (1938-09-19) 1938年9月19日(83歳)
出身地 ルアンダ
身長 184cm
体重 81kg
選手情報
ポジション FW (CF)
ユース
1955-1956 スポルティングCP
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1956-1958 ブラガ 24 (15)
1958 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 5 (1)
1958-1967 アトレティコ・マドリード 167 (59)
1967-1969 バルセロナ 33 (9)
1969-1970 マヨルカ 5 (1)
通算 234 (85)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョルジュ・アウベルト・メンドンサ・パウリーノJorge Alberto Mendonça Paulino1938年9月19日 - )は、アンゴラルアンダ出身の元サッカー選手。ポジションはFW

ラ・リーガにおけるアンゴラ人の歴代最多出場、得点記録を保持している。

クラブ経歴

ポルトガル領時代のルアンダに生まれ、1958年にSCブラガにてキャリアをスタートさせた。1958年5月にデポルティーボ・ラ・コルーニャへと移籍すると、シーズン終了後にアトレティコ・マドリードへと引き抜かれた。同年9月15日、レアル・オビエドとのリーグ戦で早速デビューすると、チームの2点目となるゴールを挙げて2-0での勝利に貢献した[1]。3日後のUEFAチャンピオンズカップ予選ドラムコンドラFCでは、再び得点を決めた[2][3]

9シーズン在籍したアトレティコ・マドリードでは、リーグ戦25試合以上に出場するシーズンは無かったが、それでもそのうち2シーズンは二桁得点を記録するなどの活躍を見せた。1961-62シーズンにはUEFAカップウィナーズカップの決勝に進出し、ACFフィオレンティーナと対戦したが、第1戦を引き分けで終えたために行われた再試合では3-0での勝利に繋がるチームの3点目を決めてタイトル獲得を果たした[4]。1967年にアトレティコを退団すると、2シーズンをFCバルセロナで、現役ラストシーズンをRCDマヨルカでプレーして選手生活を終えた[5]

タイトル

クラブ

アトレティコ・マドリード
FCバルセロナ

脚注

  1. ^ At. Madrid, 2 – Oviedo, 0; ムンド・デポルティーボ, 1958年9月15日 (スペイン語)
  2. ^ At. Madrid, 8 – Drumcondra, 0; ムンド・デポルティーボ, 1958年9月18日 (スペイン語)
  3. ^ Técnica y magia angoleña; ムンド・デポルティーボ, 2004年12月4日 (スペイン語)
  4. ^ El Atlético cumple medio siglo como campeón de Europa; ABC, 2012年9月5日 (スペイン語)
  5. ^ Futre e mais 15: os outros portugueses que passaram pelo Atl. Madrid antes de João Félix, entre flops e figuras de proa; Observador, 2019年6月26日 (ポルトガル語)

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