ジョフロワ1世・ド・スミュール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 02:19 UTC 版)
ジョフロワ1世・ド・スミュール Geoffroy Ier de Semur | |
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スミュール家の紋章の盾、銀に赤のスリーベンドレット | |
称号 | スミュール=アン=ブリオネ卿 |
出生 | 950年 |
死去 | 1015年 |
配偶者 | ブリウド副伯ダルマス2世の娘 |
マティルド・ド・シャロン | |
子女 | ブリウド副伯ダルマス2世の娘との子 ダルマス マティルド・ド・シャロンとの子 ランベール ティボー ブランシュ |
家名 | スミュール家 |
父親 | ジョスラン・ベール |
母親 | リコエール・ド・ブリウド |
役職 | 封建領主 |
ジョフロワ1世・ド・スミュール [1](フランス語:Geoffroy Ier de Semur, 950年-1015年)フランスの貴族であり、ブルゴーニュ公領、現在のソーヌ=エ=ロワール県のコミューン、スミュール=アン=ブリオネの封建領主であった人物。
家族関係
ジョフロワ1世はスミュール=アン=ブリオネ領主ジョスラン・ベール(994年没)とその妻リコエールの息子であった。
ジョフロワは生涯で2回結婚しており、初婚でブリウド副伯ダルマス2世(955年-?)とその妻アルドガルダの名前不明の娘(970年-?)と結婚し、一男をもうけた。
- ダルマス [2] -(約995年 - 1048年)次代スミュールの領主・男爵。ブルゴーニュ公アンリ1世(946年-1002年10月15日)と後述の継母に当たるマティルド・ド・シャロン(975-?)の娘アランブルジュ(999年-1016年)と結婚。 [3]
後にシャロン伯ランベール(930年-978年2月22日)と妻アデライード・ド・シャロン(950年-980年)の娘でブルゴーニュ公アンリ1世の未亡人ドンジー女卿マティルド(975年-?)と再婚し、以下二男をもうけた。
- ジョフロワ - ドンジー卿。
- ティボー(?-1065年 ) - シャロン伯、エルマントルド・ド・オータンと結婚。
- ブランシュ(986年以降/生没年不詳) - ティエール副伯エティエンヌ2世・ド・ティエルン(985年以降 - 1060年)と結婚した。
参考文献
- ^ A Herança Genética de D. Afonso Henriques, Luiz de Mello Vaz de São Payo, Universidade Moderna, 1ª Edição, Porto, 2002. pág. 284.
- ^ A Herança Genética de D. Afonso Henriques, Luiz de Mello Vaz de São Payo, Universidade Moderna, 1ª Edição, Porto, 2002. pág. 283.
- ^ Thierry Le Hête, La Dinastie Capétienne, Edição do Autor, 1ª Edição, La Bonneville-sur-Iton, 1998, pág. 13.
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