ジェームズ・ウィルソン・モーリスとは? わかりやすく解説

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ジェームズ・ウィルソン・モーリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 12:52 UTC 版)

ジェームズ・ウィルソン・モーリス
James Wilson Morrice
生誕 (1865-08-10) 1865年8月10日
モントリオール
死没 1924年1月23日(1924-01-23)(58歳)
チュニジアチュニス

ジェームズ・ウィルソン・モーリス(James Wilson Morrice、1865年8月10日 - 1924年1月23日)は、カナダの画家である。フランスで活動し、おもに印象派のスタイルの風景画を描いた。

略歴

モントリオールの裕福な商人の家に生まれた。1882年から1889年の間、トロント大学で法律を学ぶが[1]、画家を目指し1890年にヨーロッパに渡り、短期間ロンドンに滞在した後、パリに移り、私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンに入学した。パリでチャールズ・コンダー(1868-1909)やモーリス・プレンダーガスト(1858-1924)、ロバート・ヘンライ(1865-1929)といった英語圏からパリに留学してきた画家たちと知り合い、友人になった。

第一次世界大戦が始まるまで、フランスで活動し、1905年にパリのサロン・ドートンヌに作品を出展した。冬は、しばしばカナダに戻り1907年にモントリオールの美術家協会である、カナダ美術家協会(Société des artistes canadiens)の会員になった。パリに滞在するサマセット・モームアーノルド・ベネット、クライヴ・ベルといった文学者たちとも交流した。アメリカ、ロシア、ヴェネツィアやスペインのジブラルタル、北アフリカも旅し、1911年から1912年にはアンリ・マティスモロッコタンジェに滞在した。

1913年にカナダ王立美術アカデミー(the Royal Canadian Academy of Arts )の名誉会員に選ばれた[2]

第一次世界大戦の勃発すると、モントリオールに戻り、その後キューバやジャマイカを旅した。このころから アルコール中毒の傾向を示した。戦争中はカナダ軍の戦争画家として働いた。戦争後の1922年にもアルベール・マルケとアルジェリアを描いた。

その後、健康状態は急速に悪化し、1925年に58歳でチュニジアチュニスで亡くなった。

作品

参考文献




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