シンシナティ・アウトロー・レッズとは? わかりやすく解説

シンシナティ・アウトロー・レッズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/24 03:17 UTC 版)

シンシナティ・アウトロー・レッズCincinnati Outlaw Reds)は、1884年オハイオ州シンシナティを本拠地として、ユニオン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。

球団史

1884年のユニオン・アソシエーション創立に合わせてチームが結成された。所有者はシンシナティでレッドストッキングス(現シンシナティ・レッズ)を所有していたジャスタス・ソーナー。ソーナーはレッドストッキングスが本拠地としていたバンク・ストリート・グラウンズのリースの権利を取得して、レッドストッキングスを球場から追い出してしまう。追われたレッズは急遽新たな本拠地(アメリカン・パーク)を建設しなければならなくなった。

リーグの中では投手力の充実したチームで、開幕当初はナショナルリーグで無安打試合の経験のあるジョージ・ブラッドリーと、外野手を兼ねていたディック・バーンズの二人が中心となっていたが、シーズン中にクリーブランド・ブルースのエースだったジム・マコーミックや、後の1890年にナショナルリーグ首位打者となるジャック・グラスコックなどを補強した。

最初の監督だったダン・オレアリーは、6月にセントルイス・マルーンズとの8連戦で5連敗を喫した際、統率力のなさを指摘されて監督を交代、サム・クレーンが選手兼任監督となってからは更に勝率を伸ばす。8月26日のゲームでディック・バーンズが無安打試合(スコアは3対1)を達成、また9月以降は24勝3敗という高い勝率を誇ったが、最終的には首位のマルーンズに20ゲーム以上離れた3位でシーズンを終えた。

ただ経営陣のソーナーやジョン・マクリーンは、シーズン終盤既にユニオン・アソシエーションの存続が危ういことを感じており、アウトロー・レッズをナショナルリーグに移すため、同年不振だったデトロイト・ウルバリンズをナショナルリーグから追い出すことまで画策していたそうである。しかしこの思惑はウルバリンズのオーナー交代で当てが外れ、シーズン終了後にチームはリーグ消滅と共に解散した。

戦績

※順位は勝率による。

年度 リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 監督 本拠地
1884年 UA 105 69 36 .657 3位 ダン・オレアリー
サム・クレーン
Bank Street Grounds

所属した主な選手

  • ディック・バーンズ:外野手及び投手。1884年は打率.306、リーグ最多三塁打を記録、また8月26日に無安打試合を達成。
  • ジム・マコーミック:前年のナショナルリーグ最優秀防御率投手。シンシナティでは21勝3敗、防御率1.54と活躍した。
  • ジョージ・ブラッドリー:25勝15敗を記録。投手を務めたのは1884年まで。
  • フレッド・ロビンソン:後の野球殿堂入り監督ウィルバート・ロビンソンの兄。3試合のみの出場だった。
  • ジョン・ユーイング:殿堂入り選手バック・ユーイングの弟。シンシナティでは1試合のみの出場だった。

主な球団記録

  • 通算安打数:107(ディック・バーンズ)
  • 通算本塁打:4(ディック・バーンズ)
  • 通算勝利数:25(ジョージ・ブラッドリー)
  • 通算奪三振:168(ジョージ・ブラッドリー)

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