ザイヌル・アービディーン (ムザッファル朝)とは? わかりやすく解説

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ザイヌル・アービディーン (ムザッファル朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/18 13:35 UTC 版)

ザイヌル・アービディーン
ムザッファル朝第3代君主
在位 1384年 - 1387年
死去 不明
サマルカンド
王朝 ムザッファル朝
父親 シャー・シュジャー
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ザイヌル・アービディーン(生没年不詳)は、イランを支配したムザッファル朝の第3代君主(在位:1384年 - 1387年)。

生涯

父は第2代君主のシャー・シュジャー。1384年に父が死去したため、即位した。しかし父の時代から起こっていた内紛を鎮めることができず、それどころか従兄弟のシャー・マンスールに反逆されて所領を横領された上に失明させられ、実権を奪われた。1387年にはティムールの侵攻を受けて廃位を余儀なくされる。

1392年、シャー・マンスールがティムールに対して反乱を起こすも鎮圧され、ムザッファル朝の皇族の大半は処刑された。このとき失明させられていたことを不憫に思ったティムールに助けられ、弟のスルタン・シェブリと共に目を潰されてサマルカンドに移送された。ティムールは彼ら兄弟を手厚くもてなし、サマルカンドで生涯を終えたという。

参考文献

先代:
シャー・シュジャー
ムザッファル朝
1359年 - 1384年
次代:
シャー・ヤフヤー



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