サベリウス主義の異端認定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:29 UTC 版)
「古代末期のキリスト教」の記事における「サベリウス主義の異端認定」の解説
「サベリウス主義」を参照 当時のキリスト教内部では、ローマ司教ゼフィリヌス(在位:199年 - 217年)の時、サベッリウスとクレメネスらが父・子・聖霊の三位格を自立した存在と解する三位一体論に対し、これらが唯一神の様態の三変化したものであると考える様態論を主張し、ローマ司教ヒッポリュトスもこれを支持した。しかしローマ司教カリストゥス(在位:217年 - 222年)はサベリウス主義を異端として締め出し、ヒッポリュトスとポンティアヌスはサルデーニャに流された。この頃ローマのキリスト教徒は3万人ほどであった。
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