コンラート (テューリンゲン公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > コンラート (テューリンゲン公)の意味・解説 

コンラート (テューリンゲン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 12:19 UTC 版)

コンラート
Konrad
テューリンゲン公
在位 892年 - 893年

死去 906年2月27日
神聖ローマ帝国フリッツラー近郊
埋葬 神聖ローマ帝国ヴァイルブルク、聖マルティン教会
配偶者 グリスムート
子女 コンラート
エーバーハルト
オットー
家名 コンラディン家
父親 ラーンガウ伯ウード
母親 ユーディト・フォン・オセール
テンプレートを表示

大コンラート(ドイツ語:Konrad der Ältere, ? - 906年2月27日)は、テューリンゲン公(在位:892年 - 893年)。コンラディン家のラーンガウ伯ウードととユーディト(古ヴェルフ家オセール伯コンラート1世の娘)の息子。ラーンガウ伯(在位:886年 - 906年)、ヘッセンガウ伯(在位:897年 - 906年)、ゴッツフェルトガウ伯(在位:903年 - 906年)、ヴェッテラウ伯(在位:905年 - 906年)およびヴォルムスガウ伯(在位:906年)。コンラートはヘッセン全領域を統合し、その領地は後継者らのもとでフランケン公領となった。

生涯

コンラートはその経歴の初期にバーベンベルク家ハインリヒとその息子アダルベルトと対立した。居城はヘッセンのフリッツラーにあった。891年にコンラートは東フランク王アルヌルフミニステリアーレで伯爵であった。892年バーベンベルク家ポッポ2世英語版(ハインリヒの弟)がテューリンゲン公を廃され、代わってコンラートがテューリンゲン公領およびソルブ辺境領を与えられた。しかし、まもなくブルヒャルトがテューリンゲン公とされ、コンラートが公領を保持したのはそれまでの短い間であった。コンラートがテューリンゲン公に任じられたのは、バーベンベルク家に対しコンラディン家が有利になるためのアルヌルフの政策によるものであったと思われるが、テューリンゲンにおいてコンラートへの支持が得られなかった、あるいはコンラートがテューリンゲンに留められることを望まなかったため[1]、テューリンゲン公領がすぐにブルヒャルトに与えられたものと考えられる。

880年頃、コンラートはグリスムートと結婚した。グリスムートは東フランク王アルヌルフの庶子、もしくはさきのテューリンゲン公の親族とみられており、これによりコンラートにテューリンゲンの継承権が与えられた。

906年、バーベンベルク家との闘争の結果、コンラートはフリッツラー近くで戦死し、ヴァイルブルクの聖マルティン教会に埋葬された。長男コンラートもこの戦いに参加していた。妃グリスムートは924年4月26日に死去し、夫コンラートの隣に埋葬された。

子女

脚注

  1. ^ Reuter, Germany in the Early Middle Ages, p. 123.

参考文献

  • Reuter, Timothy. Germany in the Early Middle Ages 800 - 1056. New York: Longman, 1991.
  • Reuter, Timothy (trans.) The Annals of Fulda. (Manchester Medieval series, Ninth-Century Histories, Volume II.) Manchester: Manchester University Press, 1992.
  • Bernhardt, John W. Itinerant Kingship and Royal Monasteries in Early Medieval Germany, c. 936–1075. Cambridge: Cambridge University Press, 1993.
先代
ポッポ2世英語版
テューリンゲン公
892年 - 893年
次代
ブルヒャルト

「コンラート (テューリンゲン公)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コンラート (テューリンゲン公)」の関連用語

コンラート (テューリンゲン公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コンラート (テューリンゲン公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのコンラート (テューリンゲン公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS