コンデ・アン・ブリーとは? わかりやすく解説

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コンデ=アン=ブリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/27 13:59 UTC 版)

Condé-en-Brie

行政
フランス
地域圏 (Région) オー=ド=フランス地域圏
(département) エーヌ県
(arrondissement) シャトー=ティエリ郡
小郡 (canton) エソム=シュル=マルヌ小郡
INSEEコード 02209
郵便番号 02330
市長任期 エリック・アシエ
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Canton de Condé-en-Brie
人口動態
人口 658人
2012年
人口密度 144人/km2
地理
座標 北緯49度00分20秒 東経3度33分25秒 / 北緯49.005594度 東経3.556958度 / 49.005594; 3.556958座標: 北緯49度00分20秒 東経3度33分25秒 / 北緯49.005594度 東経3.556958度 / 49.005594; 3.556958
標高 平均:m
最低:75m
最高:221m
面積 4.56km2
Condé-en-Brie
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コンデ=アン=ブリーCondé-en-Brie)は、フランスオー=ド=フランス地域圏エーヌ県コミューン

地理

コンデ=アン=ブリーは、古くはガロ=ローマ時代の町であった。26のコミューンで構成される自治体間連合に属するコンデは、3つの河川の多くの深い峡谷が出会う場所で、『合流地点』(confluent)にふさわしい名称である。

コンデ城は、かつてガロ=ローマ時代のヴィラがあった場所にたてられている。

由来

フランス革命時代、コミューンはヴァロン=リーブル(Vallon-Libre)と改名させられていた[1]

歴史

コンデ=アン=ブリーの領主は、モンミライユ家、クシー家、バル伯リュクサンブール=リニー家、ブルボン=ヴァンドーム家、ブルボン=コンデ家、ブルボン=ソワソン家、そしてサヴォワ=カリニャン家と移り変わった。ブルボン=コンデ家の家名の由来は、コンデ=アン=ブリーである[2]

コンデ=アン=ブリーにあったハンセン病患者病院は、1698年にシャトー=ティエリの病院に統合された。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2012年
623 592 653 609 591 626 633 658

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[3]、2004年以降INSEE[4][5]

史跡

脚注




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