コクシェタウとは? わかりやすく解説

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コクシェタウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 06:15 UTC 版)

コクシェタウ

Көкшетау
Кокшетау

印章
コクシェタウ
位置図
コクシェタウ
コクシェタウ (アクモラ州)
北緯53度17分 東経69度23分 / 北緯53.283度 東経69.383度 / 53.283; 69.383座標: 北緯53度17分 東経69度23分 / 北緯53.283度 東経69.383度 / 53.283; 69.383
カザフスタン
アクモラ州
建設 1824年
政府
 • 市長 バキト・サパロフ
人口
(2010年1月1日)[1]
 • 合計 146,933人
等時帯 UTC+5
郵便番号
020000
市外局番 +7 7162

コクシェタウカザフ語: Көкшетау / Kökşetaw / كوكشەتاۋロシア語: Кокшетау)は、カザフスタン北部のアクモラ州にある都市で、同州の州都である。人口は12万5225人(2007年国勢調査)。ソ連統治下はコクチェタフ (Кокчетав) と呼ばれたが、1993年に改称された。

地理

首都のアスタナから北西へ1245km。大自然とブラバイ・リゾートなどの観光地で知られる。コパ湖という湖に発展した。

歴史

1824年に要塞として建設された。地名はカザフ語で「緑の山」を意味するコクシェタウの丘にちなみ名づけられた[2]。1868年にこの地方のウェズド(行政区画の一種)の中心になった。

1930年代の内務人民委員部 (NKVD) によるポーランド作戦と国内のドイツ人粛清によって、この地域には多くのクレシー人が強制移住させられた。このため、コクチェタフはカザフスタンにおけるポーランド人ディアスポラの根城となった[3]。1944年3月16日にコクチェタフ州が創設されてから、同州の都であり続けている。

第二次世界大戦後には、第1054収容地区(ラーゲリ)が設置され、シベリア抑留の対象となった日本人捕虜の一部が移送されてきた[4]

産業

食品加工などの軽工業が軸で、低品質の小麦などを産する。北には金鉱がある。ここから430kmほどのエキバストスまで、電圧1000キロバイト級の送電線が通じている。

交通

空港からアルマトイペトロパブルに便がある。鉄道網が国の南部やロシアに延びている。

姉妹都市

脚注

  1. ^ http://www.akmola.stat.kz/oblasti/koksh.htm
  2. ^ E.M. Pospelov, Geograficheskie nazvaniya mira (Moscow, 1998), p. 208.
  3. ^ Kate Brown, A Biography of No Place: From Ethnic Borderland to Soviet Heartland (Harvard University Press, 2004: ISBN 0674011686), pp. 173-74.
  4. ^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、186頁。ISBN 9784562049318 

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