クラーク・エーベルとは? わかりやすく解説

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クラーク・エーベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/14 08:36 UTC 版)

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Clarke Abel

クラーク・エーベル(Clarke Abel、1789年9月5日1826年11月24日)はイギリスの医師、博物学者である。イギリス外交団の医師として中国を訪れ、中国の植物を採集し、動物の情報をもたらした。

略歴

1816年から17年に、中国との国交を結ぶ目的で派遣された初代アマースト伯爵ウィリアム・アマーストの外交団に、ジョゼフ・バンクスの推薦で、主任医師、博物学者として参加し、北京を訪れた。中国に滞在する間に植物標本や種子を集め、その中には、バンクスの部下のロバート・ブラウンによってエーベルの名前がつけられたスイカズラ科ツクバネウツギ属Abelia chinensis(和名、タイワンツクバネウツギ)がある。エーベルがイギリスに送ろうとした標本は、船の難破や海賊の襲撃によって失われたが、標本の一部は広東に滞在していアーマス伯爵の外交団の事務長、ジョージ・レオナード・スタントン(Sir George Staunton)に残した標本が後にエーベルに返された。 Abelia chinensisの苗はロバート・フォーチュンによって1844年にヨーロッパへ運ばれた[1]。1818年に旅行記『中国内部への旅と航海に関する談話』("Narrative of a Journey into the interior of China, and of a voyage to and from this country")を発表した。1819年に王立協会のフェローに選ばれ[2]王立地理学会の会員でもあった。アマースト伯爵がインドの総督になった時にも主任医師を務め、カーンプルで37歳で没した。

スマトラ島にオランウータンの生息することを初めて報じたヨーロッパ人でスマトラオランウータンの学名、Pongo abelii Lessonに献名されている.[3]

参考文献

  1. ^ Alice M. Coats, Garden Shrubs and Their Histories (1964) 1992, s.v. "Abelia".
  2. ^ Library and Archive Catalogue”. Royal Society. 2010年12月5日閲覧。
  3. ^ Behlens, Bo, Watkins, Michael. and Grayson, Michael Eponym Dictionary of Mammals, Johns Hopkins University Press, 2009 ISBN 978-0-801893-04-9. p. 1-2)
  • Diana Wells, 100 Flowers and How They Got their Names, (Chapel Hill: Algonquin), 1997.



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