クバトベク・バイボロフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > キルギスの政治家 > クバトベク・バイボロフの意味・解説 

クバトベク・バイボロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/26 00:24 UTC 版)

クバトベク・バイボロフ1952年1月2日 - )は、キルギス共和国の政治家、チェキスト。キルギス共和国検事総長。二等国家参議官、予備役大佐、民警中将。

経歴

アラムドゥンスキー地区チョン・アルィク村出身。キルギス人。1969年、B.I.レーニン名称工作機械・建設工場で働き始める。1977年、キルギス国立大学を卒業し、フルンゼ市の第64中学校で歴史と社会を教えた。

1978年からソ連国家保安委員会(KGB)。1979年、ソ連KGB高等教育施設、1983年、ソ連KGB情報大学を卒業。

  • 1983年~1984年:アフガニスタン国家情報庁のテロ・地下匪賊部隊対策局長顧問
  • 1989年~1991年:対外諜報部中央機構の職員
  • 1991年:キルギスKGB情報課長

1991年から年金生活に入る。1992年~1994年、企業家。

政治家

1995年~2000年、第1期ジョゴルク・ケネシュ立法院代議員。1995年~1998年、国家機構・適法性委員会副委員長、刑事・刑事訴訟・刑執行法典案立案作業部会議長。1998年~2000年、ライセンス・経済政策委員会委員長。1999年、キルギス国立大学法学部、I.アラバエフ名称教育大学経済学部を卒業。

2000年~2005年、第2期ジョゴルク・ケネシ立法院代議員、無派閥。2001年~2002年、刑事・民事・行政法令委員会委員長。2004年1月22日~2005年、立法院第二副議長。CIS加盟国議会間総会議長、大統領附属特赦委員会委員長。

2005年~2007年10月、ジョゴルク・ケネシ代議員。2005年11月、「民主勢力同盟」を設立し、その共同議長となる。2006年11月6日、「野党憲法」採択のため代議員により設置された「制定会議」を率いる。社会団体「汚職反対キルギス議員」議長、国民民主勢力連合の調整官。2005年4月、憲法評議会議員。2006年、「改革のために!」運動本部スタッフ。

2007年、アクシュムカル党の創設者の1人。同年、アクシュムカルからジョゴルク・ケネシ代議員に当選。2008年1月、政治活動からの引退を表明。2009年、アメリカに移住。

2010年6月12日~7月7日、キルギス国家保安庁第一次官。2010年6月13日から非常事態の布かれたジャラル・アバド州の警備司令。

2010年7月7日~9月13日、内務相。同年9月13日、検事総長に任命。

パーソナル

妻帯(再婚)。妻のヌルジャマルは、元ビシュケク市議会議長。2男4女を有する。

「アフガニスタンからのソビエト軍撤収15周年」メダルを受章。

先代
バクティベク・アルィムベコフ
内務相
2010年
次代
ザルィルベク・ルィサリエフ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クバトベク・バイボロフ」の関連用語

クバトベク・バイボロフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クバトベク・バイボロフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクバトベク・バイボロフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS